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2013年4月30日火曜日

仲西ヘーイ


若狭公民館から歩いて十分程の場所に、潮渡川があります。昔の写真などを見ても、三つの橋が当時から架けられていて、海側から夫婦橋、若松橋、そして潮渡橋という順番になっています。なんていうことのない橋なのですが、その中の潮渡橋には、世にも恐ろしい妖怪の伝承が残っているのです。


大正時代に発行された比嘉春潮の「沖縄本島の神隠し」には、この橋にまつわる話が紹介されています。夜分、潮渡橋の近くで「仲西ヘーイ」(もしくは仲西ヤーイ)と叫ぶと、それは現れてくるのだと言います。仲西ヘーイの姿がどんなものか、人物なのか実態のないマジムン(妖怪)なのかは、定かではありません。ただ、そうやって潮渡橋に呼びかけると、そいつは現れるのです。そして仲西ヘーイを呼び出してしまった後は、大変です。名前から想像されるような、穏やかな妖怪などではないのです。

沖縄方言で「むにむたりーん」という言葉があります。標準語に直すと「ものにもたれる」という意味なのですが、この「もの=むん」という言葉は、沖縄で妖怪幽霊悪霊など全般をさす言葉、「まじむん」のむんと一緒なのです。つまり、何かに取り憑かれてしまう状態の事を指します。潮渡橋のたもとで、「なっかにし、へーい!」と大声で叫んだものは、このマジムン、仲西ヘーイに取り憑かれてしまうのです。


取り憑かれたものがどうなるかといえば、神隠しにあってしまうのですね。それについて書かれた記録を見て行くと、他の琉球妖怪であるヒチマジムンとの共通性なども見えてくるのですが、それをここで書くと長くなってしまうので割愛するとして、ともかく仲西ヘーイという妖怪は、凶悪な妖怪なのです。

みなさん、決して潮渡橋のたもとで、「仲西ヘーイ」と大声で叫んではいけません!絶対に仲西ヘーイを現代に召還しないで下さい!(笑)若狭公民館では、絶対に責任持てませんよ!

現在の潮渡橋は、整備されて国道58号線になっています。リッチモンドホテルのすぐ側にあります。

また若狭公民館では六月あたりに、若狭近辺の妖怪や伝承などを探訪する講座を行う予定です。興味のある方は、若狭公民館までお問い合わせ下さい。過去に書かれた妖怪や伝承の文献を読みながら、実際にその場所を訪れるという講座です。興味のある方はぜひ。

その昔、仲西ヘーイという妖怪がいると恐れられた潮渡橋。現在は沖縄の流通、交通、生活をささえる重要な橋になっています。果たして、仲西ヘーイは実在するのかどうか。あなたは橋のたもとで大声で「仲西ヘーイ」と叫んでみる勇気がありますか?(小)




2013年4月26日金曜日

若狭公民館サークル紹介 その1

みなさん、こんにちは!
とっても良い天気ですね。
明日からのゴールデンウィークも
晴れますように!

今日は、若狭公民館のサークルをご紹介します。
今回ご登場いただくのは「若狭カラオケサークル」です。

「若狭カラオケサークル」は現在15名のグループです。
毎週、皆さんの気持ちよさそうな歌声が、事務所にも聞こえます。

中に入ってみて、皆さんの白熱した雰囲気が印象的でした。
ここには、普通のカラオケとは違う魅力があるな、と思いましたよ!

毎週金曜日13時からですので、一味違うカラオケを体験してみたい方は
ぜひ見学に行ってみてください!(まきや)




 

2013年4月24日水曜日

琉球メダカが

琉球メダカがいるんですよ。公民館の二階エレベータ前に。

知ってました? ええ、知らなかったなんておっしゃる御仁は若狭公民館通ではございませんね。

説明しますとね、琉球メダカっていうのは、沖縄に古くから在来種として存在するメダカの原種なんですよ。誰ですかね、グッピーとかいっているのは。グッピーなんかと一緒にされたら、古琉球の時代より連綿と続く、琉球メダカの歴史に傷がついちゃうじゃありませんか!

うちのS館長が世話をしているのですが、ここんとこ館長は出張で、もしかしたら誰もエサをあげていないかも、なんです。

え、これってまずくないか。。。

でも元気な琉球メダカたち。

最近は子どもたちからも無視されてしまっている彼らですが、たまにはエレベータ脇にある琉球メダカ君の水槽にも注目して下さい。(小)

2013年4月23日火曜日

インパチェンスとクロトン

若狭公民館の一階の花壇に、インパチェンスとクロトンが植えられています。

インパチェンスは様々な色があって美しく、育てやすい花ですね。ホームセンターなんかでも安価で売っています。



そしてもう一つのクロトン、沖縄では結構ポピュラーに栽培されています。

クロトンは一つの品種から様々な品種が生まれたといわれており、いろいろ掛け合わせて品種を作るのが簡単だという話を聞いた事があります。



沖縄では庭等で非常に良く見かける種類の植物です。葉っぱを楽しむのがクロトンの楽しみ方で、花壇に植えられているものも赤っぽい美しい発色をしています。お近くにきた際には、ひっそりと華を添えているこの花壇にも注目して下さい。(小)





2013年4月22日月曜日

三重城(みーぐすく)


ロワジールホテルのちょうど裏に、三重城(みーぐすく)と呼ばれる場所があります。16世紀に沖縄を荒し回っていた倭冦と呼ばれる海賊の見張り所として作られたと言いますから、歴史的にはかなり古いものになります。当時は砲台が設置されていました。

現在はこんもりとした丘のようになっていますが、もともとは海の中をうねるようにして作られた海中道路であったといいます。現在は周囲が埋め立てられて、当時の面影はまったくありません。

当時この場所は新城(みーぐすく)と呼ばれていたのが、近代になって三重城と表記されるようになったようです。

この三重城には現代もウタキがあります。コンクリートが潮でやられてしまっていますが、現在でも礼拝する人が後をたたない、立派な拝所です。




また海に向かうフェンス沿いには、溶けたヒラウコー(沖縄の束になった線香)がどろどろになっていましたが、ここも拝所になっているようです。一説ですが、ここの拝所は宮古島の方向へ向いており、宮古島出身者の方々が故郷の無事を祈る場所として現在も崇拝の対象になっているようです。宮古島の方々は信仰があつくて、線香もお供え物も山ほどするのが習わしのようになっています。この溶けたドロドロは、彼らの信仰の深さを物語っているのかもしれません。(小)









2013年4月19日金曜日

【ほーむぷらざ掲載】童謡と唱歌を楽しむ会

若狭公民館の定期利用団体「童謡と唱歌を楽しむ会」が、沖縄タイムスの副読紙、ほーむぷらざ(4月18日発刊)の「サークル紹介」に掲載されていました。
2007年に結成し、みなさんで楽しく活動されています。
活動の様子については、下の紹介記事をご覧ください。
(宮城)

※画像をクリックすると拡大表示されます。



地域サポートわかさ定例会 H25年4月18日

昨夜はNPO法人地域サポートわかさの定例会が開かれました。






若狭公民館は、NPO法人が一部業務委託を受けて運営している公民館で、理事や職員などが集まり、今までの報告や連絡等を行いました。

地域、というものが、都市化によってどんどん希薄になり、横の結びつきが失われつつある現代社会において、こういった地域連携というものが、今後見直されていくだろうと思います。

あと若狭地域の方に業務連絡ですが、バイクの2人組によるひったくりが横行しているようです。どうか気をつけてください。そんなことをする輩には天罰が下りますように!(小)

2013年4月18日木曜日

2階の掲示コーナーが熱い!

みなさん、こんにちは!
今日はちょっと暑いですね。

そんな、夏の気配が漂う今日この頃の
若狭公民館のホットニュースです。

2階の自習スペースに
「小原さんの怖~い話コーナー」と
「若狭公民館ブログ 公民館つれづれ日記」
を掲示しました!


「小原さんの怖~い話コーナー」は職員の小原さんが
琉球新報のりゅうPONに連載している読み物です。
一度に読めるのは若狭公民館だけかも!?

 
また、お知り合いの方でインターネットは見れない、という方がいたら、
パソコンなくても若狭公民館に行けば、「公民館つれづれ日記」が読めるよ!と教えてあげてください。わざわざ来て読むだけの価値があるはずです!

ぜひ、遊びに来てください。(まきや)




2013年4月17日水曜日

鄭大夫岩(ていたいふいわ)


以前、鄭大夫(ていたいふ)のお話を少ししました。中国から移民してきた久米三十六姓と呼ばれる人の末裔で、武術の達人であり、大変慕われていた人だったそうです。

その鄭大夫のエピソードの中で、有名なものが「牛マジムン」と戦った武勇伝です。鄭大夫は赤い目をした巨大な牛のマジムンと夜通し相対しながらまんじりともせず、ついに夜が開けると、牛マジムンはガンと呼ばれる沖縄の棺桶に変化していたという伝承です。

その、牛マジムン(要するに、牛の妖怪ですね)を夜通し組み敷いたと言われている岩が、この鄭大夫岩と呼ばれるものです。



現在はウタキ(拝所)になり、龍神様が祀られています。なんだか少し可愛い龍神様ですよね。



この場所は旧料亭・松乃下の裏にあり、過去の文献などでは唐真森(とぅーまむい)などと呼ばれている場所です。一説によると寄留民たちによる唐の国への遥拝所だったとも言われています。昔はうっそうとした森だったのでしょうが、現在では面影を少しとどめるだけになっています。

場所は辻と呼ばれる歓楽街の中にあるので、探しながら妙な場所に行かないようにご注意下さい(笑)

なおこの唐真森には、他にもジュリ(遊女)たちの開祖と呼ばれているウミナイビのウタキもあるのですが、それはまた別の機会に。(小)

2013年4月15日月曜日

ユタと若狭と中国文化

ユタって聞いた事ありますか?

アメリカの州の名前ではないですよー(笑)


ユタというのはハンジ(占い)をする沖縄のシャーマンのことを指します。いつごろからユタ文化があったのかはさだかではありませんが、沖縄の精神文化を語る上で絶対にはずせないのが、このユタとノロという存在です。


簡単にいえば、ユタというのは民間の霊能者的存在で、ノロというのは首里王府から任命された、儀式を司る女司祭といった感じになります。ユタは王府から認められていた訳ではないので、過去に迫害されたり、「時双紙(ときそうし)」と呼ばれる秘伝の巻物を焚書にされたりと、いろんな事件がありました。(その中心的人物だったのが蔡温という政治家でしたが、これはまた別の機会に)


とにかく、沖縄では「ユタコーヤー(ユタを買う事)」という言葉もあるくらい、ユタというのはポピュラーな存在でした。


ところが若狭公民館のある地域の、久米や辻と呼ばれる地域では、ユタというのはあまり迎合されませんでした。


この地域には、久米三十六姓と呼ばれる中国からの寄留者や本土からの移住者が多く住んでいる地域でした。そのため中国文化の影響が強く、占いと言えば中国式の易などが一般的で、ユタを買う、ということは忌み嫌われていたようです。


しかしながら、現在ではそのような中国式の占いはすっかり陰を潜めてしまいました。かわりに中国式の孔子廟などが今も残り、地域の人たちの礼拝の対象になっていて、中国からの観光客などでもにぎわっています。


若狭を訪れた際には、ぜひ中国文化あふれる孔子廟や久米至聖廟などにも足を運んでみて下さい。(小)






2013年4月12日金曜日

ウィリアム・ボード事件


みなさんはウィリアム・ボード事件をご存知でしょうか?

ウィリアム・ボードは、その昔、ペリー提督と一緒に日本にやってきた水兵の一人です。ペリーは日本に都合三度程やってきたのですが、その二回目の来日の時に、ボード水兵はレキシントン号という船にやって沖縄に来ました。

夜に他の水兵と一緒にこっそりと船を抜け出したボードは、泡盛を飲み過ぎて酔っぱらってしまい、なんと当時五十四才だったウミトゥおばあをレイプしてしまいます。

それに気づいた渡慶次カマさんをはじめとした何人かの沖縄県民がボードに石を投げながら追跡し、やがてボードは崖から転落して死亡。

やがてそれを知ったペリーは怒り心頭、ボードを殺した渡慶次カマをはじめとする六人を引き渡せと要求します。(明らかにボードが悪いと思いますが、これはアメリカ側の言い分。そのころから日米関係は上下が決まっていた感があります)

結局、渡慶次カマには八重山流刑、他の者も宮古流刑の刑罰が言い渡されて、事件は一応の解決(しかし彼らに実際の刑罰が施されたかどうかは定かではありません)

そしてウィリアム・ボードの遺体は、泊にある外人墓地に葬られました。これが実際のウィリアム・ボードの墓標です。



この時に埋葬を手伝ったのが、ベッテルハイムという有名な宣教師でした。他にもペリー提督の部下だったものたちの墓が泊の外人墓地にはあります。

(ここからは未確認情報なのですが、一つだけ墓標のない墓がこの中にはあるようです。ペリーの部下で病死したものなどの墓も残っているのですが、その中の一名は黒人水兵だったようです。その水兵だけ、墓標がないとのことでした。空いている場所にひっそりと葬られているようです。ここにも差別をはじめとするアメリカ文化のことが伺えて興味深いです。)

もともとは中国の人たちの墓地だったようですが(若狭周辺は久米三十六姓といって中国からの移住者が多い地域でもありました)、その後米兵を中心として葬られるようになっています。

これが最も古いと言われている中国人移住者たちのお墓です。



ペリー提督の昔から、日米関係というものはあまり変わっていないのかなと、そんな思いを抱いてしまいました。

そんな事件があったことを踏まえて、この泊外人墓地のウィリアム・ボードの墓標を眺めるとき、よく今までこの墓標が壊される事なく残っているなあと、しみじみ思いました。

行ってみるとわかりますが、このボードの墓標、隣の病死した水兵の墓標よりも一回り小さくなっています。おそらく不名誉な死に方をしたので、そのせいだとも言われています。左が病死した水兵の墓標、右がウィリアム・ボードの墓標です。



もし泊にいらしたら、琉球のそんな裏の歴史にも思いを馳せながら、ウィリアム・ボードの墓標を探してみて下さい。泊外人墓地は泊港のそばにあります。(小)


2013年4月9日火曜日

夫婦瀬公園

若狭のはずれに、夫婦瀬(みーとぅじ)公園というものがあります。昔は海でしたので、その名残で波に削られた岩がそのまま残っている公園です。その一角にウタキ(御獄)と呼ばれる地元の神様を祀った拝所があります。記載等はありませんが、海に近い場所に祀られたものは龍神様を祀っている場合が多いので、おそらくここもそうだと思われます。


沖縄のウタキは、だいたい三つの神様を祀っている場所が多く、中心となるものを後ろから守るようにして、左右に二つの神様がおられます。中心にあるのは、多くが竜宮神(龍神)、もしくはその土地の神様で、左右に火ぬ神(ひぬかん)やビジュル(霊石)などが祀られてあります。

このウタキは夫婦瀬公園の中にあり、だれでも参拝する事が出来るのですが、沖縄のウタキの中には男子禁制の場所等も今も存在しています。(久高島のフボーウタキなどは、現在では島の限られた人以外、入る事を許されていません)。また世界遺産になった南城市の斎場御獄(セイファウタキ)などでも、昔は王様が参拝するのにも、神の怒りを恐れてわざわざ女装して入ったという話も残っています。

また夫婦瀬公園の中には、波に削られた岩が今もそのまま残っているのですが、このような削られた石が、じつは那覇市の「なは」の由来にもなったという説があります。

那覇の由来にはいくつも説があって、その一つに、波に削られたキノコの形をした岩があって、方言でキノコのことを「なーぱ」といい、その岩のせいで「なぱ」がなまって那覇になったという説があります。また他の説では「漁場」(なわば)であったせいで、「なわば」がなまって那覇になった、というものもあります。



どれが正しい、というのは学会でも確定されていないので、ここはみなさん、どうぞ那覇および若狭に実際に来ていただいて、ご自分の目で確かめてみる以外、方法はなさそうですね。(小)

2013年4月5日金曜日

那覇市の公民館をまわってきました

長袖を着て若干の肉体労働をすると、すぐに汗だくになってしまいますね、そろそろ半袖がちょうどいい季節かも知れません、そんなわけでみなさまお元気でしょうか、若狭公民館の小原です。

先日、私と真喜屋は、先輩の宮城部長につれられて、那覇市の他の公民館へと、ご挨拶にまわらせていただきました。

いろいろなところをまわったのですが、まずは繁多川公民館にご挨拶にいきました。

世界遺産の識名園を少し下った場所にある繁多川公民館ですが、建物も新しく、ステキな雰囲気あふれる場所でした。

ここでは昔ながらの大豆を使った豆腐作りを、公民館と地域が連携して行い、大きな成果を上げています。

それから、皆さんの中には沖縄製ヒーロードラマ「ハルサーエイカー」というものをご存知の方がおられると思います。じつは繁多川公民館はその、ハルサーエイカーのロケ地にもなったところなんです。

屋上には庭園があります。ここでハルサーエイカーのロケが行われました。



ここで(私の記憶もあやふやですが・・・)黄金野菜のゴーヤーか何かを奪い合って死闘が繰り広げられました。屋上庭園になっています。観月会なども行われるようですね。ここで夜空を見ながらユンタクしたら楽しいでしょうねー^^。

その他に屋上菜園もあって、大豆が丁寧に育てられていました。

続いて向かったのは、首里公民館です。首里城が見える絶景のロケーションにある場所です。駐車場も広くて、利用者も多い公民館ですね。


上から見下ろすと、大きなホウオウボクがあったのですが、先日剪定したようで、枝振りは楽しめませんでしたが、その根っこが土の上の緑と相まって、年月を感じさせる風情を醸し出していました。

2013年4月3日水曜日

【2013年4月】謎のトランペット奏者


みなさんこんにちわ、若狭公民館の小原です。

さて、ここはどこでしょう?そしてなぜかトランペットを吹いている謎の女性とは?

正解は、とまりんの横の緑地公園、泊大橋の見えるフェリー乗り場、そしてトランペットを吹いているのは、若狭公民館の真喜屋志保さんです。

真喜屋さんは私生活でもトランペットが大好きで、「マルチーズロック」というバンドでも吹いているミュージシャンでもあります。良くこの場所などで、ときたま練習しているようです。見かけたら、声をかけてくださいね。


2013年4月1日月曜日

今日から若狭公民館で働かせていただく事になりました

みなさま、こんにちわ。

今日から若狭公民館で働く事になりました、小原猛と眞喜屋志保と申します。

小原は京都生まれで、沖縄に住んで十年以上になります。今まで宮古島や首里、小禄、宜野湾市などに住んだことがあり、「琉球怪談」という本を書いたり、現在琉球新報の小中学生新聞「りゅうPON」に、「琉球妖怪大図鑑」という連載もしています。今回縁あって若狭公民館でみなさまのお手伝いをすることになりました。どうぞよろしくお願いします。

眞喜屋は神奈川県の生まれで、沖縄在住十三年です。沖縄県立芸大を卒業し、トランペットが好きで、現在マルチーズロックというグループに所属しています。ドーナツが好きです。いろいろなイベント等を通して、皆様と交流を深めて行きたいと思いますので、どうぞこれからもよろしくお願いします。