この講座は、沖縄県復帰っ子連絡協議会と共催している「=復帰あのころを知る=」シーリーズの第5弾となります。
今回は、復帰当時からRBC(琉球放送)カメラマンとして活躍されたほか、米軍などが映した戦後沖縄の映像の収集・整理にも尽力されている新里勝彦さんをお迎えし、RBCの秘蔵映像をみせていただきながら、当時のお話を伺いました。
秘蔵映像を見ながらのお話を伺う
RBC開局の1960年から復帰直後まで使用していたTVカメラ「Bels & Hawell 」もみせていただきました。
1回で収録できるのは約3分。
重いですが、コンパクトです。
価格は当時で30万円くらいだったそうです。
「Bels & Hawell 」について説明する新里さん
(写真は打合わせ時のもの)
今回は、復帰以前の沖縄の生活やその雰囲気をみていただきたいということで、アメリカ世(米軍統治下時代)の映像を中心にみせていただきました。
そのなかでも米国民政府制作の「琉球ニュース」を多く紹介していただきました。
琉球ニュースのオープニング映像
琉球ニュースは、島ぐるみ闘争に入っていく時代と重なります。
米軍への反感が高まるなかで、基地を機能させるためには、沖縄の人たちの人心をつかむ必要があると制作されたプロパガンダだったそうです。
「琉米親善」(以前は米琉親善と言っていたそう)を掲げて沖縄の子どもたちにお菓子を配る米民生官や琉米親善水泳大会の映像などを次々に見せていただきました。
「琉球ニュース」に見入る受講者
ほかにも、ペリー来琉100周年を祝う「ペリー百年祭」の様子や泊地区あたりとみられる場所で開催されたロデオショーなど興味深い映像が盛りだくさんでした。
新里さんは「琉球ニュースはプロパガンダのために制作されたものだが、それを否定的に捉えているわけではない。映像に映っている沖縄の人々はイキイキしていて、当時の社会状況も含めさまさまな情報を読み取ることができる貴重な資料記録となっている」と話されていました。
「琉球ニュース」をみながら講師の話に耳を傾ける
琉球ニュース以外にも、ご自身が撮影されたコザ騒動やジェーン・フォンダ来沖時の映像、屋良朝苗インタビューなど、貴重な映像を当時のエピソードを交えてお話しいただきました。
会場からあった、写真家石川文洋さんをウチナーンチュだと直感した理由や、復帰の日の取材状況などの質問にも丁寧にお答えくださいました。
質問を寄せる受講生
講座の様子は、OAM(沖縄オルタナティブメディア)の協力で、インターネット同時配信しました。
下の「▷」をクリックするとアーカイブをご覧いただけます。
(講座開始のあいさつのあと、3分50秒くらいから始まります。)
(講座開始のあいさつのあと、3分50秒くらいから始まります。)
講座には新聞やテレビニュースなどの取材もありました。
→ 沖縄タイムス(3/19掲載)はこちら。
※RBCのザ・ニュースでは、本日(3/21)放送予定です。
(宮城)