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2013年11月14日木曜日

赤面原とゆうちぬさち - 野津唯市さんのこと


野津唯市さんがお亡くなりになりました。
「赤面原とゆうちぬさち」の絵を公民館に寄贈していただいたのは9月始めの頃。そして、感謝状を贈りに野津さんのご自宅に伺い談笑したのが、ほんの一月くらい前のことです。告別式の祭壇に飾られた遺影は、野津さんの立ち姿でした。遺影に立ち姿とは珍しいです。芸術家らしいというか・・・野津さんらしいと思いました。

 昔の若狭は岩礁の台地が連なり、海岸の美しい景勝地でした。「ゆうちぬさち」は海に突き出た高さ20メートルほどの大きな岩場であり、海から眺めると波上宮の立つ岩礁によく似ていたそうです。残念なことに戦後の区画整理の際、ダイナマイトで破壊されてしまいました。今では岩の一部だけが残り、拝所となっています。半世紀以上も前に消えてしまったのですが、今でも地域の人々にとって若狭の象徴的な存在なのです。そして「赤面原(あかちらばる)」とは「ゆうとぬさち」から北側に広がる陸地と海岸のことを指して、そう呼んでいたそうです。

 野津さんは東京市向島区(現在の墨田区)の生まれです。父親は旧姓を渡嘉敷と言い、沖縄の出身でした。その父親と共に子どもの頃に那覇の若狭に転居してきたそうです。沖縄の風景を幻想的に描き、絵には物語がありました。そして作品の多くに顔を覗かせるキジムナー(沖縄の妖怪)は、とてもチャーミングです。野津さんの絵は、南城市にある窓から見える景色の美しいカフェにたくさん展示されています。

 今年の2月に若狭公民館の20周年記念事業がありました。「何か、記念事業の目玉になるような展示はできないものか・・・」。市役所の大先輩であり、沖縄の歴史にも精通している真栄里泰山氏にアドバイスを求めました。「僕の家の近くに『赤面原とゆうちぬさち』の絵を描いた画家がいるよ。その絵を借りて展示したらどうかな」。早速、野津さんを訪ねました。絵を拝見して驚きました。想像していた以上に素晴らしいのです。野津さんが子どもの頃、昭和12年当時の世相や風俗が垣間見え、ただ単に若狭の景勝地を描いただけの作品ではないことが一目で分かりました。

「記念事業の大きな目玉にはなるけど、100号の作品はあまりにも大きすぎる。」公民館まつりと同じ日程で行われるので、多くの人が訪れるのです。「絵の安全を保てるだろうか?作品が傷つけられるのではないか」。記念事業まであと2、3日。時間がありません。しかも、記念事業が終わると直ぐに那覇市民ギャラリー、その後は南城市のカフェで展示するとのこと。時間も、間に合わせるだけの専門業者に委託する予算もありません。泣く泣く、展示を断念しました。

 それから時は流れ8月の末頃、ドライブの途中に南城市のカフェに寄ると「あの絵はもう持ち帰りましたよ」。食事を済ませて帰りがけに、「野津さんは来られることありますか?」と聞くと、「今、いらしてますよ」との返事。壁を隔てて反対側におられました。「お久しぶりです・・・」。世間話から入り、一番気になっている「あの絵はどうしたのですか?」。若狭地域の人たちから「あの絵、若狭に欲しい」と、耳にたこができるくらい聞かされ、「早く野津さんに絵を寄贈してくれるよう交渉してきなさい」と、プレッシャーもかけられてました。そう言われなくても、「今は影も形も無くなってしまったけれど、若狭の人たちの心の中に地域の象徴として生き続けている赤面原とゆうちぬさちを描いたこの絵を若狭に欲しい・・・」と、誰よりも強く願っていたのは小生自身でした。

 意を決し「絵を若狭に寄贈していただけませんか!」。野津さん曰く、「実は僕もこの絵を若狭公民館に寄贈したいと思っていたんです」。「え?、え?、え?」。しばし、絶句・・・。話はとんとん拍子に進み、数日後には絵の寄贈式が行われました。野津さんがお亡くなりなる約2ヶ月前のことです。先述したように、一月ほど前に野津さんを訪ねた時はお元気そうに見えました。感謝状を受け取られた時のお顔が、とても嬉しそうだったのが思い出されます。

 野津さんは自身の子どもの頃の原風景である「赤面原とゆうちぬさち」を、絵の中に残しました。その絵の存在を教えてくれたのは大先輩の真栄里泰山氏です。その情報を小生が伝えたことにより、若狭の人たちは絵の存在を知ることになりました。ドライブの途中でたまたま食事に寄った南城市のカフェに偶然居合わせた野津さんと意気投合し、絵は若狭の地に落ち着くことになります。半世紀以上も前に地上から消滅した「赤面原とゆうちぬさち」が、後世の人たちに「私たちが存在していたことを忘れないで・・・」と、絵に形を変えて若狭に戻ってきたのだと思います。きっと、そうなのです。寄贈していただいたこの絵は若狭地域と若狭公民館で大切にお預かりします。そして未来永劫、子々孫々まで伝えてまいります。野津さん、本当にありがとうございました。


絵は公民館窓口横の壁に展示してあります。昭和12年頃の若狭にタイムスリップして、野津さんが描いた「赤面原とゆうちぬさち」の物語をお楽しみください。