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2014年12月8日月曜日

うちなーぐち紙芝居「耳切坊主」



若狭公民館制作の紙芝居「耳切坊主」、本年度は講座などで大活躍しましたが、現在うちなーぐちヴァージョンを製作中です。

うちなーぐちとは沖縄方言のことで、日本語とはかなり違う、一説では独自の言語であるとも言われているものです。ハイサイ、ハイタイ、などが有名ですが、最近では沖縄独自の言葉を見直そうということで、方言再評価の動きが高まっています。そんな訳で今回、方言指導の先生、久高将一先生が丁寧に翻訳して下さいました。

なぜ「耳切坊主」を選んだかというと、もともとこの話は沖縄芝居で人気の出た民話で、妖怪、耳切坊主と正義のヒーロー、北谷王子の対決という、明確な図式がかっちり描かれたものだからです。盛り上がるところがいくつもあり、その箇所は標準語で読むよりもうちなーぐちで読む方がワクワクします、

ちょこっと冒頭の部分を、標準語バージョンとうちなーぐちバージョンで載せますので、その違いを確かめてみて下さい。

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【標準語バージョン】

 時は1700年代、尚敬王の時代。那覇の若狭に、護道院という名前の寺があった。そのころの若狭は切り立った崖が美しいユーチヌサチもそのまま残っており、護道院はその近くにあったと伝えられている。

 その護道院(ごどういん)に、一人の坊主がいた。坊主の名は黒金座主(くろがねざーし)といい、話術がたくみで、信者も多く、遠くから彼の説教を聞きにくる者がいるほど、護道院は賑わっていた。

 だが、どこかで何かが狂いだしたのか、あるいは元からそうだったのかさだかではないが、いつの頃からか護道院に怪しい噂が立ち始めた。

 どうやら、ジチチケー、すなわち妖術使いであった黒金座主が、自らの力を悪い方向へと使い始めたようであった。

【うちなーぐちバージョン】

 とちや1700年代、なまから三百年めえ、那覇ぬ若狭んかい、護道院でぃる、名—ぬティラがあたん。うぬ時分ぬ若狭んかいや、ユーチヌサチんでぃいる、ちりたっちょうる、ちゅらばんたぬ、うぬままぬくとぅたん。護道院や、うぬ近さんかい、あたんでぃぬくとやん。

 うぬ護道院ぬんかいや、黒金座主(くるがにざーし)でぃいいる、一人(ちゅい)ぬ坊主(ぼーじ)がうーたん。ちゅぬくくる、ひきちきいぬ、話ぬわざむっち、敬い信じいぬちゅんまんでぃ、遠くから話ちちいがちゅうるむぬん、まんでぃ、護道院や繁盛そうたん。

 あんしが、まあがなうてぃ、ぬうがながばっぺー、はじまたん。ゆうさんねえ、むとぅむとぅから、あんがやたらわからんしが、うぬうちに、護道院ぬんかい、いふぅな噂ぬ立ち始またん。

 くれえ、ジチチケー、やたる黒金座主が、どぅーぬちから、やなぐとぅんかい、ちかいはじみたぬ、ふうじやたん。

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来年はうちなーぐち紙芝居を披露できると思いますので、乞うご期待下さいませ!