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2017年3月28日火曜日

若狭町ゆんたく会 レポート

2月から始まった「若狭町ゆんたく会」は、地域の皆さんが若狭町の今昔について語り合う会です。講師に以前、若狭公民館の社会教育指導員をされていた島袋文雄先生をお迎えし、先生の提供してくださった資料を見ながら、みなで自由におしゃべりしています。

 

参加者は60代〜80代の方で、地域で生まれ育った方がほとんどです。
それだけに、「若狭1丁目のあたりに飴屋さんがあった。おじさんが飴を柱に打ち付けて作っていたな〜。」とか「夫婦岩のあたりが埋め立てられたのは高校生くらいの頃だった。」など、昔の地域の様子が身近に感じられる日常のエピソードが聞けるところがとても楽しいです。


昔食べたという食べ物の話で盛り上がることも多く、先日「あまがし」の話になった際、これはチャンスだと思い、次のお茶菓子はあまがしにしましょう!と提案してみたところ、参加者の方から前日に教えてもらえることになりました。



もちろん、ネットで検索すれば作り方はでてきますが、指導してもらいながら、なんとなくのさじ加減で足したり減らしたり、隣で注意事項をきいたりしたことは、秘伝を受け継いだような貴重な体験でした。そこにはネット情報やレシピ本で得られないことが含まれていたと思います。

ゆんたく会の当日、皆さんにお出しすると、懐かしい味に皆さんとても喜んでくださり、教えてくださった方ももっといろんな料理を教えてあげたいと言ってくださいました。(ちなみに、料理中と出来上がりの写真は作るのと食べるのに夢中になり、撮り忘れてしまいました…。)

また、戦争中の話がでることもあります。
講師の島袋文雄先生は、戦争中の爆撃でお母様とおじいさまを亡くされ、ご本人も右腕に砲弾が入り負傷し、アメリカの野戦病院で手当てを受けたそうです。
当時、沖縄にはなかった麻酔薬のせいで、眠っているのを死んでいると間違われ、あやうく埋められるところであったという話など、体験されたご本人から伺うと、当時の様々なことが現実感を帯びて伝わってきます。

しかし、こうおっしゃっていました。
「本当は当時のことはあまりにも悲惨で、思い出したくも語りたくもない。でも最近になって、伝えていかないと若い人たちは戦争の怖さをわからないから、語らなければと思っている。だけど、結局話しても悲惨さがこどもたちに伝わらない。またか、と言われる。とても虚しく感じる。」

身を切られるような思いをして語ったことが聞いてもらえていないと感じたら、だんだん語るのはいやになってしまうはずです。こどもたちだけでなく戦争を経験していない世代にとって、「戦争の話」は積極的に聞きたい話ではないかもしれませんが、なぜ語ろうとしているのかという部分から知っていくことの必要性を感じます。

戦前、戦中、戦後を過ごした皆さんの話を聞いたり写真を見ていると、ほんの数十年間のこととは思えないくらい、生活環境が大きく変わっています。
どなたかが、「こどもたちは当時のことを聞いても、想像できないんじゃないかな?こどもたちからみたら、島袋先生は宇宙人くらい違う人間に思うかも。」
と言っていましたが、ここでみなさんから直接話を聞くまで、私自身も、もっともっと大昔の話として戦前〜戦後すぐの話を聞いていたことに気付きました。
子育て世代やこどもたちにも、直に聞いて欲しいことがたくさんあるなと、このゆんたく会で感じています。(真)