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2022年9月12日月曜日

若狭町の歴史を知る講演会

9月2日に若狭公民館にて「若狭町の歴史をつなぐ未来づくりプロジェクト」講演会が若狭公民館ホールにて開催しました。告知期間が短かったにも関わらず、44名の方にご参加していただき、地域の歴史に興味を持っている方が多いことを感じました。


那覇市の市民活動支援事業助成金を活用して、若狭小学校区まちづくり協議会が行う
「若狭町の歴史をつなぐ未来づくりプロジェクト」は、若狭地域の歴史を知って、未来につなげたい地域の歴史を後世に残していこうという企画です。地域にある公民館として若狭公民館もお手伝いしています。

今回お話をしていただいたのは、沖縄県立博物館・美術館館長の田名真之氏です。なぜ那覇四町といわれているのでしょう。1640〜50年くらいに那覇の町が東と西にわかれたそうです。近くにある若狭と泉崎の四つを合わせて那覇四町と呼びました。ここから少しづつ町が発展していったそうです。


若狭町では漆器が有名ですが、野菜づくりも盛んだったそうです。沖縄ではカガンジデークニーが有名ですが、若狭では長細い大根が作られていてそちらも評判がよかった様です。若狭よりも栄えていた東町や西町に野菜を売りに行ってたそうです。

民俗地図を見ると、若狭町には小学校が5つも6つもあり、たくさんの人が住んでいたことがわかります。現在と地形が違うため、どう見たらよいかわかりづらい古地図ですが、説明してもらえると昔の情景をイメージしやすくなります。

浮島だった頃の絵には、干潮になると美栄橋から泊に向けてできる大きな干潟で塩づくりをしたり、競馬をしていた様子も残されています。橋がかかっていないのに人が歩いているのは、そこは浅瀬で歩いていたのだということがわかるそうです。


波の上宮あたりの絵には、赤い服を着た辻の遊女とお酒を飲んだり、ブーサー(琉球文化圏のじゃんけん)をしている様子が描かれています。食料を運んだりしている様子も描かれていますが、宴会をしている人たちにご馳走を運んでいるのではないかとのことです。身分の高い人は傘をさしていたりするそうです。一枚の絵でたくさんの昔の人の生活を知ることができますね。

皆さん興味深そうにお話を聞いていました。
1時間という短い時間ではありましたが、多くのことを知ることができました。

「記憶は忘れるけど記録すれば残る」と進行をしてくれた若狭まちづくり協議会の岸本さん。「若狭町の歴史をつなぐ未来づくりプロジェクト」では、今後まちあるきで地域の歴史を知って、どうやって未来に残していくか考えるワークショップなども開催していく予定です。


「若狭町の歴史をつなぐ未来づくりプロジェクト」

主催:若狭小学校まちづくり協議会
協力:若狭公民館
支援:なは市民活動支援事業