7月18日(火)にモザンビークからナジャさんを招いて小学校での出前講座と、トークイベントを開催しました。
ナジャさんはモザンビーク、マコンデ族のミュージシャン。
モザンビークは、アフリカ大陸に55カ国ある国のひとつです。
ナジャさんは、内戦中に生まれ、ポルトガル語やスワヒリ語など7ヶ国語を話し、マコンデ語やスワヒリ語で独自の文化について歌う国民的歌手です。
2019年のサンバの出前授業でもお世話になった翁長巳酉さんより「小学校でナジャさんの講演会ができないか」と相談があったことから、若狭小学校にて1校時から4校時まで出前授業を行い、夜は公民館にてモザンビークでの生活について知るトークイベントを開催しました。
このページでは、夜に公民館で開催したトークイベントについてのレポートします。
下は0歳からの29名の方にご来場いただきました。
ナジャさんと共にお話していただいたのは、『モザンビークのいのちをつなぐ会』代表の榎本恵さんと、沖縄のコーディネーターの翁長巳酉さん。
榎本さんは、現地で目の当たりにした環境問題と貧困問題などを少しでも解消すべく 2013年4月『モザンビークのいのちをつなぐ会』を設立、モザンビークに寺子屋を作り、ナジャさんと共に活動しています。
翁長さんは2002年に音楽の調査のためにモザンビークに行かれたそうです。当時撮影した写真を会場にて展示してくださいました。モザンビークでの生活は、水は井戸から汲み、ガスが通っていないので木炭で火を起こします。電気がない家庭もあるらしく、自給自足で生活している方も多いようです。
食べ物はみんなで分けることが常識で、一人占めにするという考え方はないそうです。
分けるのが当たり前を例えていうと、人とすれ違う時にパンを持っていたら、その半分を渡すのが普通で、もらった人はお礼も言わないくらい当たり前の行為なんだそう。
病院に行くと症状に合わない薬を処方されることから、白魔術師の元で薬草をもらう方が信用できるといった話もありました。私たちの暮らしとはだいぶ異なり、興味津々なお話ばかりでした。
マコンデ族は現在でも一定の年齢になると割礼の儀式が行われており、その際にはマピコ舞踏が踊られるそうです。
舞踏で使われる仮面は白魔術の儀式を経た人しかかぶることが許されておらず、儀式の際には、誰がかぶっているのかけっして知られてはならないそうです!
数十年前まではマコンデ族といえば刺青が目印でした。身体を土の中に埋められ、ナイフで顔を刻まれていたそうです。しかも上唇にボタンをはめ込んで、歯も削っていたようです。
痛みくてあばれないように土に埋めたのだそうです。
現地に行くと、今でも高齢の女性で刺青をされている方を見ることができるようです。
ナジャさんは『モザンビークのいのちをつなぐ会』の寺子屋(児童館のような位置付け)にて350名ほどの子どもたちに、衛生や生活のこと、音楽などを教えています。
お腹をすかせたこどもたちは朝5時くらいから寺子屋にやってくるそうです。
何よりも子どもたちに優しく愛情を持って接することを大切にしていると言うナジャさんと接すると、言葉や様子から優しさが滲み出ているのを感じることができます。
貴重なお話を聞かせていただき、ありがとうございました。
後半はお待ちかね、ナジャさんのライブです!
マコンデ語の白魔術師の歌、黒魔術の歌、猿の不思議な言い伝えを歌った歌はどれもちょっと不思議な感じのする素敵なメロディーと歌でした。
「黒魔術のダンスを踊ってはいけないよ〜」という歌詞の歌がありましたが、とてもリズムカルで踊り出したくなるメロディー!
踊っては行けないのに、ついつい踊ってしまいそうで怖くなりました。
ナジャさん、榎本さん、翁長さん、貴重なお話と素敵な音楽をありがとうございました。
ご参加いただいた皆さんからは、
生活から国の内情、多方面から深い話が聞けて、とても勉強になりました。活動の素晴らしさだけでなく文化や民族についても知る事ができてよかった。といった意見をいただきました。 マコンデ族の教えの中で、心を1人にしてはいけない、という言葉があるそうです。公民館のテーマは「誰一人取り残さない」にもつながる素敵な考え方です。
マコンデ族の生活や文化から大切なメッセージをたくさんいただきました。(sato)