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2012年3月21日水曜日

「ニュース映像で振り返る 復帰40年」報告

3月18日、成人講座として「ニュース映像で振り返る 復帰40年」を実施しました。
この講座は、沖縄県復帰っ子連絡協議会と共催している「=復帰あのころを知る=」シーリーズの第5弾となります。

今回は、復帰当時からRBC(琉球放送)カメラマンとして活躍されたほか、米軍などが映した戦後沖縄の映像の収集・整理にも尽力されている新里勝彦さんをお迎えし、RBCの秘蔵映像をみせていただきながら、当時のお話を伺いました。

秘蔵映像を見ながらのお話を伺う

RBC開局の1960年から復帰直後まで使用していたTVカメラ「Bels & Hawell 」もみせていただきました。
1回で収録できるのは約3分。
重いですが、コンパクトです。
価格は当時で30万円くらいだったそうです。

Bels & Hawell 」について説明する新里さん
(写真は打合わせ時のもの)

今回は、復帰以前の沖縄の生活やその雰囲気をみていただきたいということで、アメリカ世(米軍統治下時代)の映像を中心にみせていただきました。
そのなかでも米国民政府制作の「琉球ニュース」を多く紹介していただきました。

 琉球ニュースのオープニング映像

琉球ニュースは、島ぐるみ闘争に入っていく時代と重なります。
米軍への反感が高まるなかで、基地を機能させるためには、沖縄の人たちの人心をつかむ必要があると制作されたプロパガンダだったそうです。
「琉米親善」(以前は米琉親善と言っていたそう)を掲げて沖縄の子どもたちにお菓子を配る米民生官や琉米親善水泳大会の映像などを次々に見せていただきました。

「琉球ニュース」に見入る受講者

ほかにも、ペリー来琉100周年を祝う「ペリー百年祭」の様子や泊地区あたりとみられる場所で開催されたロデオショーなど興味深い映像が盛りだくさんでした。

新里さんは「琉球ニュースはプロパガンダのために制作されたものだが、それを否定的に捉えているわけではない。映像に映っている沖縄の人々はイキイキしていて、当時の社会状況も含めさまさまな情報を読み取ることができる貴重な資料記録となっている」と話されていました。

「琉球ニュース」をみながら講師の話に耳を傾ける

琉球ニュース以外にも、ご自身が撮影されたコザ騒動やジェーン・フォンダ来沖時の映像、屋良朝苗インタビューなど、貴重な映像を当時のエピソードを交えてお話しいただきました。

会場からあった、写真家石川文洋さんをウチナーンチュだと直感した理由や、復帰の日の取材状況などの質問にも丁寧にお答えくださいました。

質問を寄せる受講生

講座の様子は、OAM(沖縄オルタナティブメディア)の協力で、インターネット同時配信しました。
下の「▷」をクリックするとアーカイブをご覧いただけます。
(講座開始のあいさつのあと、3分50秒くらいから始まります。)




講座には新聞やテレビニュースなどの取材もありました。

→ 沖縄タイムス(3/19掲載)はこちら。

※RBCのザ・ニュースでは、本日(3/21)放送予定です。

(宮城)


「ニュース映像で振り返る 復帰40年」沖縄タイムスに掲載

3月18日に実施した青年講座、=復帰あの頃を知る=その5「ニュース映像で振り返る 復帰40年」の記事が、翌日19日の沖縄タイムスに掲載されました。

沖縄タイムス(2012.3.19)
※クリックすると拡大表示されます。

2012年3月13日火曜日

復帰講座「ニュース映像で振り返る 復帰40年」

「復帰」について多角的に学ぶ講座の第5弾実施します。
下記チラシおよび概要をご覧ください。

※チラシ画像をクリックすると拡大表示されます。


=復帰あの頃を知る=その5「ニュース映像で振り返る 復帰40年」

沖縄県本土復帰40周年を迎え、あらためて「復帰」について多角的に学ぶことを目的に実施している講座「復帰あの頃を知る」シリーズの第5弾です。
今回は、復帰当時からRBC(琉球放送)のカメラマンとして活躍したほか、米軍などが撮影した戦後沖縄の映像の収集・整理にも尽力されている新里勝彦氏をお迎えし、RBCの秘蔵映像とその歴史的・技術的な背景、そしてレンズを通してみたウチナーンチュについて考えます。

【日時】3月18日(日)16時~18時
【場所】那覇市若狭公民館 2階 第1研修室
【講師】新里勝彦(元琉球放送カメラマン)
【参加費】無料
【問合せ】098-891-3446
     info@cs-wakasa.com
【主催】那覇市若狭公民館・復帰っ子連絡協議会
【協力】琉球放送

    OAM(沖縄オルタナティブメディア)

※尚、講座の様子はUSTREAM中継を行う予定です。
 会場まで足を運ぶことのできない方は、こちらでご視聴ください。
→ http://okinawa-am.net/ustream/index.html


【会場案内】
那覇市若狭公民館
http://naha-kouminkan.city.naha.okinawa.jp/wak-kou/about/access.html
※駐車場がありませんので、車でお越しの際は近くの有料駐車場をご利用ください。









2012年2月6日月曜日

復帰講座「写真で知る!激動の時代」報告

2月4日に実施した復帰についての勉強会「復帰あの頃を知る」シリーズの第4弾、「写真で知る!激動の時代」無事終了しました。

講座には実に幅広い世代の方に参加していただきました。
講師の山城博明さんと同世代の方から、復帰っ子世代、またもっと若い20代の姿もあり、多くの方が「復帰」に対して関心を寄せていることを実感しました。


講師の山城さんは、復帰当時は沖縄大学の学生だったそうです。
大学に入り写真部に入部したものの、当時は学生運動まっただ中。
自然に学生運動などが被写体となり、コザ暴動や復帰闘争の写真も撮っていたそうです。

講座では、復帰前の学生運動やコザ暴動などの写真から時代を追ってみせていただきました。


復帰賛成派の集会、復帰反対派のゼネスト、通貨闘争、B52配備反対闘争、CTS反対闘争、、、
復帰前後の激動の社会状況と時代のトピックに対する県民の反応が写真を通じて伝わります。
参加者の皆さんは、真剣にスクリーンをまなざし、山城さんの言葉に耳を傾けていました。


復帰後の状況として自動車の対面通行が右側から左側に変わった730(ナナサンマル)、沖縄海洋博など、当時の様子がうかがえる興味深い写真とともにエピソードを紹介していただきました。
なかでも、海洋博記念式典のために来沖されていた皇太子ご夫妻がひめゆりの塔に訪れた際、過激派が火炎瓶を投げつけた「火炎瓶事件(ひめゆりの塔事件)」の写真は衝撃でした。

また、後半は2004年の沖縄国際大学米軍ヘリ墜落事故や2007年の教科書検定問題の県民大会など、最近の写真も織り交ぜながらお話いただきました。
「復帰」と現在の沖縄をどのように捉えるか、あらためて、つながっていることを意識させられたような気がします。



スライドショー終了後の質疑応答では、
復帰当時の政治への関心と現在の状況をどうみるか?
復帰運動を現在の視点で捉える動きはあるのか?
若い世代に伝えたいコトは?
ソーシャルメディアが発達した現代における写真の力とは?
など、熱心な質問が寄せられました。


講座に参加されなかった方にも、山城さんの写真を見ていただきたいと思い、講座の打ち合わせの時にみせていただいた画像(101枚)でスライドショーを作成しました。
(講座当日は、このスライドショーに30点ほど写真を追加)
写真についてのキャプションはありませんが、このスライドショーから講座の様子や、復帰前後の沖縄の状況を感じていただければ幸いです。



また、講座の様子はOAM(沖縄オルタナティブメディア)の協力により、USTREAM中継しました。
アーカイブをご視聴いただけるので、下の「▷」をクリックしてご覧ください。
(動画は実際の写真より青みがかっていることをご了承ください)



「復帰あの頃を知る」シリーズは今後も継続実施する予定です。
次回企画が決まりましたら、ホームページ上でご案内しますので、どうぞご参加ください。

(宮城)

→ =復帰あの頃を知る=その3「復帰闘争と反復帰論」の報告はこちら。




新聞記載「写真で知る!激動の時代」

2月4日に実施した成人講座「写真で知る!激動の時代」は、復帰っ子連絡協議会との共催で企画・運営する勉強会「復帰あの頃を知る」シリーズの第4弾です。
復帰40周年を迎える年とあって、「復帰」に関する関心も高まっているようです。

講座実施前には告知、実施後の報告の記事が新聞に掲載されましたので、ご報告します。
※クリックすると拡大表示され読みやすくなります。

【沖縄タイムス 2/2掲載】

【琉球新報 2/3掲載】

【琉球新報 2/5掲載】

2012年1月15日日曜日

復帰講座打合わせ

今年は沖縄県の日本復帰40周年です。
昨年より開催している復帰についての勉強会「復帰あの頃を知る」シリーズの第4弾開催が決定しました!


第1回、第2回は、復帰っ子連絡協議会が主催し、若狭公民館は会場を提供しているだけでしたが、第3回からは合同で開催しています。
これまで、復帰を推進した方、復帰に消極的だったといわれる保守政治家、反復帰論を唱えた思想家、それぞれの立場から「復帰」についてお話しいただきました。


第4回の今回は、報道カメラマン(復帰当時は学生写真家)として沖縄の激動の社会状況を写し続けてこられた山城博明さんをお迎えして、当時の写真をスライドショーでみせていただきながら現場の話を伺います。

先日(1月10日)、山城さんに来館いただき、講座の打ち合わせとスライドショーの機材チェックを行いました。
機材チェックをしながら、コザ暴動や通貨闘争、復帰賛成派・反対派それぞれの集会の様子、5.19ゼネスト、全軍労、皇太子火炎瓶事件、沖国大米軍ヘリ墜落など、、、復帰前から復帰後、関連する最近の写真まで全101枚のスライドをみせていただきました。

衝撃的な写真の数々、そして現場に立ち会った方ならではのお話、とても興味深く、講座当日がとても楽しみになりました。
ぜひ、多くの方に参加していただきたいと思います。
下に、チラシ画像と講座の詳細を貼付けます。


===============
 =復帰あの頃を知る=その4
 「写真で知る!激動の時代」
===============

沖縄県本土復帰40周年を迎え、あらためて「復帰」について多角的に学ぶことを目的に実施している勉強会「復帰あの頃を知る」シリーズの第4弾です。
今回は、報道カメラマンの山城博明氏をお迎えし、復帰前後の沖縄を写した写真のスライドショーとその写真にまつわるお話を伺うことで、激動の社会状況を知ることをねらいとしています。

【日時】2月4日(土)16時~18時
【場所】那覇市若狭公民館 2階 第1研修室
【講師】山城博明(報道カメラマン)
【参加費】無料
【問合せ】098-891-3446
     info@cs-wakasa.com
【主催】那覇市若狭公民館・復帰っ子連絡協議会

※尚、講座の様子はUSTREAM中継を行う予定です。
 会場まで足を運ぶことのできない方は、こちらでご視聴ください。
→ http://okinawa-am.net/ustream/index.html
【協力】OAM(沖縄オルタナティブメディア)

<<講師プロフィール>>
1949年生まれ。宮古島市城辺字新城出身。
沖縄大学在学中に沖縄の日本復帰闘争、安保闘争、学園紛争などの写真を現代の眼(1971年8月号)、世界写真年鑑(1971~2年・平凡社)などに発表した。卒業後、読売新聞西部本社に入社。現在琉球新報社写真映像部に所属するカメラマン。
1990年度、19991年度と二年連続九州写真記者協会賞を受賞。1993年から那覇市、東京、仙台、札幌、山口で写真展「琉球の野鳥」「中国野生のトキ」を開催。
1998年、写真集「報道カメラマンが見た復帰25年OKINAWA沖縄」を出版。同年7月、沖縄銀行「平成10年度おきぎんふるさと振興基金」を受賞した。1999年9月、中国漢中市で開かれた世界トキ保護検討会議場で外務省協力により写真展「中国野生のトキ」を開催。2003年5月、那覇市リウボウホールにて写真展「天tinpao蛇」開催。
ライフワークで沖縄の自然、アジアの野鳥(中国野生の朱鷺、韓国、台湾、香港のクロツラヘラサギ)の撮影を続けている。
http://tenpau.com/

【会場案内】
那覇市若狭公民館
http://naha-kouminkan.city.naha.okinawa.jp/wak-kou/about/access.html
※駐車場がありませんので、車でお越しの際は近くの有料駐車場をご利用ください。





→ 前回の講座「復帰闘争と反復帰論」(講師:川満信一)の様子はこちら。

2011年12月12日月曜日

「復帰闘争と反復帰論」講座報告

12月3日、沖縄県復帰っ子連絡協議会と合同で、詩人であり思想家の川満信一氏をお招きして「復帰闘争と反復帰論」というテーマでご講話いただきました。
この講座は、これまで復帰っ子連絡協議会が独自に開催していた「復帰あの頃を知る」という勉強会シリーズの第3弾です。

復帰40周年を来年に控え、復帰の年(1972年)に生まれた「復帰っ子」がこれからの沖縄について考えるにあたり、まずは自分たちのアイデンティティーのひとつである「復帰」について学ぼうと、様々な立場の方からお話を聞き、多角的に知ることを目的としてこの勉強会がはじまりました。
第1回目は、「復帰の推進力 −屋良朝苗と復帰運動−」をテーマに、元沖教祖委員長の石川元平氏をお招きしてお話を伺いました。
第2回目は、復帰時代を知る保守の立場から、元自民党沖縄県連会長の西田健次郎氏をお招きして「祖国復帰とはなんだったのか」をお話ししていただきました。

第3回目となる今回からは、若狭公民館と合同で開催しています。



1960年代に入り米軍関連の事件・事故が頻発すると、それに我慢ならないということで「祖国復帰」が求められました。
川満氏は、「その中で沖縄の代表を国政参加させるというのは、形式的なアリバイづくりだった」と指摘しています。
「その矛盾に気づくべきだったが、情緒的な満足感だけで復帰してしまった。国政参加を拒否して再考しようという動き、それが反復帰論の始まりだ」ということです。

日本ではなく中国に帰属する、あるいは独立だという「反」復帰ではなく、「非」復帰という意味での「反復帰論」だそうです。
沖縄の言葉、自然と風土は異質だとする新川明氏の「反復帰論」が一般的に理解されているが、川満氏の思想は、沖縄戦で亡くなった犠牲者の視線から見る立場をとっているということで、同じ「反復帰論」でも、思想が異なると聞いて興味深く感じました。



川満氏は「イギリスの産業革命から始まった近代国民国家が国民・民族という概念を作り出したが、それは国家の枠のたがを締めるための意識操作で、その近代国民国家の構造に対し、国家のありようの矛盾を指摘するために、タブーであった「非国民」を敢えて使って反対した」とも言っています。

このほか、
「天皇制を中心とする日本の国家体質」
「震災、原発事故以降の「がんばろう日本」というキャッチフレーズについて」
「アメリカ・イラク戦争の理由づけ、生物兵器」
「恩納村の科学大学院大学」
「『現代の眼』(1981年4月号)での原発労働者の実情報告」
など、話は膨らんでいきました。

会場からは、
「琉球処分は強制的だったが、復帰は自ら望んだ。この流れをどうみるか」
「復帰を知らない世代としてどうみればいいのか」「当時人権を取り戻すという意識が強かったと思うが、現在に活かされていないのでは?」
「復帰運動の経過、日の丸・君が代に対する意識の変化などはどうだったのか」
「うちなーんちゅの心とは?」
という興味深い質問が次々と投げられました。



特に最後の質問は興味深く、
「宮古・八重山にしてみればかつての琉球からの支配もある。民族という概念はアレルギーがある。「シマの人間」といいたい。」とし、「琉球独立論はナンセンスだと思っている。80年代につくった「琉球共和社会憲法」は、国民国家に囚われない二重国籍的な連帯の仕方をイメージした。」と答えていました。

最後は、現在のグローバル資本主義にもふれながら、「100年先に想像力をもちたい」と長期的なビジョンで思考し続けることの意義を話されました。


※講座の様子は、OAM(沖縄オルタナティブメディア)の協力でUSTREAM中継しました。
 真ん中の再生ボタン「▷」をクリックすると、録画映像をご視聴いただけます。


たいへん興味深く、勉強になるお話が聞けたのですが、私自身の思考の速度がついていかず、脳内は飽和状態になっていました。
しかし同時に、「なるほど」と腑に落ちるところも多くあり、このような勉強会を継続して行う意義をあらためて感じました。

今後もまた別の切り口で勉強会を開催する予定です。
詳細は決まり次第、HP、ツイッター、facebookでお知らせします。

(宮城)

→ 第2回「祖国復帰とはなんだったのか」(西田健次郎氏)USTREAM動画はこちら。