2020年8月14日金曜日

【10年前の講座】『平和学習』のあたらしいカタチ

新型コロナウイルス感染症の拡大によって、外出を自粛し人との接触を避けることが推奨されている昨今、公民館講座のあり方も工夫が求めらています。
対面で会わなくても学びが得られるように、そして繋がりを感じられるようにするにはどうすればよいか、様々なところで試行錯誤されていますが、そのなかで有効な手段の一つがオンラインでの講座ではないでしょうか。

若狭公民館が初めてオンライン生配信をした講座はちょうど10年前。
2010年8月13日に開催した「『平和学習』のあたらしいカタチ」というフォーラムでした。
(サブタイトルは、「自分たちでつくる!オルタナティブ「平和学習」フォーラム」)

「『平和学習』のあたらしいカタチ」チラシ
「『平和学習』のあたらしいカタチ」のチラシには下のように記載しています。

戦後65年経った現在でも沖縄県には全国の米軍基地の約75%が集中しています。戦争体験者が少なくなる中 で、私たちは「平和」をどのように学び、伝えていくのか。各方面で活躍する若いパネリストとともに考えます。

フォーラムを実施した2010年8月13日は、沖縄国際大学に米軍ヘリが墜落してちょうど6年目に当たる日。(沖国大米軍ヘリ墜落は、2004年8月13日)
そして、65年目の終戦記念日を目前にしたこの日に、「平和」を学び伝えていくことについて、若い人たちとともに考え発信したいと思って企画しました。

また、ここで話し合われたことを会場に来ることができない人とも共有したいと思い、USTREAMでの生配信を行いました。

このUSTREAMの動画は、しばらくはアーカイブとして残り無料で閲覧できたのですが、現在は観ることができなくなっています。
そこで、10年経った今、あらためてこのフォーラムで話し合われた内容についてレポートしたいと考え、このブログに掲載しています。

以下、当時のメモ転載します。

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平成22年度(2010年度)那覇市若狭公民館 成人講座・平和学習
『平和学習』のあたらしいカタチ
〜自分たちでつくる!オルタナティブ「平和学習」フォーラム〜
日時:2010年8月13日(金)19:00-21:00
場所:若狭公民館ホール / USTREAM(オンライン)
参加者数:50人
オンライン同時視聴者:48人
パネリスト ※肩書きは当時のもの
 知花竜海(ミュージシャン)
 親川志奈子(琉球大学大学院生)
 宮里沙季子(NGO「ONE LOVE」)
 北上田源(アメラジアン講師)
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フォーラムは、パネリストの知花竜海さん(DUTY FREE SHOPP.)とカクマクシャカが沖国大米軍ヘリ墜落事故について歌った曲「民のドミノ」が流れ、幕開けです。





はじめに、若い4名のパネリストの活動紹介と平和学習についてのイメージについてお聞きしました。

知花立海さん

トップバッターはミュージシャンの知花竜海さん。
読谷に住んでいたということもあり、こどもの頃からチビチリガマなどにもよく行ったが、沖縄戦と沖縄の現状について繋げて考えることはなかった。
大学に進学して、授業で沖縄のことを学んでいるときに2000年の沖縄サミットが開かれた。当事、これが「アメとムチ」か!と思うことが多く行われていることを感じ、沖縄を取り巻く構造的な問題を意識するようになった。それをきっかけに、メッセージ性の強い楽曲を発表するようになった。
現在は辺野古で音楽を楽しむことを通じて、基地移設賛成派、反対派を越えて、辺野古の素晴らしさを感じてもらうことをねらいとした「ピースミュージックフェスタ」を主宰している。

親川志奈子さん

次は、親川志奈子さん。
幼少の頃は沖縄市で育ち、小学5年生のときに那覇に引っ越してきた。同じ沖縄なのに、米軍基地へのリアリティに違和感を覚えた。
その後、1995年の米兵による少女暴行事件をきっかけに、太田知事、橋本総理、クリントン大統領(いずれも当時)が協議し生まれた国費留学生度として、米国留学を経験。
アメリカでは、ほとんどの人が沖縄について、沖縄に駐留する米軍基地について知らないことにショックを受けた。
現在は、消滅の危機に瀕しているしまくとぅば(琉球諸語)の研究をしている。

宮里沙季子さん

宮里沙季子さんは、ONE LOVEというNGOで活動。ネパールやフィリピンへの支援活動を行うと同時に、県内の小中学校への出前授業も展開している。
高校生の頃は、英語が好きで、フェンスの向こうのアメリカに憧れを抱いていた。
大学の授業で、世界で起きている戦争や貧困、格差問題について学び、NGOの活動を始めた。
フィールドワークで行ったフィリピンでの体験から、沖縄や日本、米軍基地についても深く考えるようになった。
アルバイト先で知り合った米兵がイラク(戦地)から帰ってきて、目がうつろで人が変わったようになっているのをみて怖くなり、アルバイトもやめた。
米軍基地が身近にあり、当たり前になっている環境の中で、平和について考え、学習していくことの意義を感じ、国際協力の取組みとあわせて平和学習についても、積極的に取り組みたい。

北上田源さん

北上田源さんは、京都出身。
大学進学で沖縄に来て、在学中に平和ガイドをはじめる。
京都にいた頃の平和学習については全く覚えておらず、大学の授業で沖縄や沖縄戦のことを学ぶうちに「なんで?」という疑問が膨らんできた。
その後、2004年から「虹の会」という活動に参加。戦争体験者との交流では、体験者としてではなく、個人としての関係が生まれ、それが「伝えたい」という思いにつながった。
現在勤めているアメラジアンスクールでは、米兵を親に持つ子も多いが、そこで沖縄戦についての平和学習を実践している。
そこで感じているのは、平和学習を実施するときに、誰を対象に実施するか、ということを意識する必要があるということ。
公立学校での平和学習で、沖縄戦の映像を見せて終わり、ではアメラジアンの子達がいじめにあうこともある。少数派にも目を向ける必要があるのではないか、と提案した。


パネリストの皆さんに「平和学習」のイメージについて聞くと、
・怖いものという印象があり、苦手だった。
・沖縄戦については学んだが、基地のある現状と結びつかない(結びつかせないようにしている)
などの意見がありました。

 

それに対して、今世界で起こっていることと、自分との繋がりを想像することが必要だという意見がありました。
イラク戦争の軍事費は、日本が提供しているが、それは私たちが銀行に預けているお金を原資として国債を買って、それが軍事費になっている。その現実も理解する必要がある。
戦争と自分、今と昔をつなげることを意識する必要があり、平和学習をイベント化してはならない。との指摘がありました。

 


休憩の間に、パネリストへの質問や感想を書いていただき、それを黒板に貼り出して発表しました。
USTREAMでの生配信を行っていたこともあり、遠方の視聴者からもツイッターで意見や提案などが寄せられました。

その後のフロアディスカッションでも活発な意見交換がなされました。



参加者からは、
「”今と昔”、”戦場と沖縄”を結びつけて考えることが重要だと気づいた」
「パネリストそれぞれの平和への思いが聞けて良かったです。沖縄で平和学習する上でのタブーというものを感じていましたが、立場をこえて考えていくという参加者からの意見に共感しました」
「平和学習のマンネリ化が解決できそうだ」
など、様々な感想があり、気づきの多いフォーラムとなりました。

また、「平和学習」という堅いイメージを与えるテーマでしたが、2030代の青年層に多く参加してもらうことができ、潜在的な学習ニーズを感じました。



そのほか、参加者から以下のような感想やパネリストへの質問がありました。



 今日、話をきいて思ったこと
     過去(沖縄戦)と現在(沖縄の現実)、つながっていることをどう伝えていくか が大きなテーマかなと思いました。そして、伝えたい相手への想像力も大切かと。→理解してもらいやすい伝え方の検討。

     アメリカの教科書・・・真珠湾の被害
原爆(「戦争を終わらすためにしょうがなかった」という理解)
  日本の平和学習・・・原爆の被害
   沖縄戦の被害
 これまでは被害の面に焦点化されすぎているように、話を聞いてて思いました。

       それぞれのいろんなお話がきけてとってもよかったです。世界で起こっている戦争でもつきつめて考えれば自分の暮らすOKINAWAにつながるな、と再認識させられました。

       戦争=恐い=いけない という子供の頃に抱いた感想は私も同様で、夢でうなされた事がありました。でも、そういう経験が今につながっているかもしれないし、想像力、想像するということにつながっていくかもしれないと思った。

       みんなそれぞれの基地に対する思いがあることがわかった。それを何かしらの形で表現していることが沖縄の原動力にもなっているんだなと思った。平和は、その一人一人の思いの練り上げによってつくられるものだと思います。

     世界で今起こっている事と沖縄、沖縄の現実、昔と今との繋ぎ目(事実・現実)に気づいていない人達が多い。今、気づいた人達が伝えていかなければならない。

     高校で教えていて心がけていることは、「陰惨な戦争学習」ではなく、「平和を創造する学習」をしたいということです。

     いれいの日が来るから平和について考えるというのではなく、常に頭にいれていてほしいということをこれからの沖縄・日本・世界を支えていく、造っていく子どもたちに伝え、一緒に考えていきたいと思いました。 アメリカの手のひらで転がされている日本。今すぐに、大きなことをして動かすことはできないと思わず、ちりもつもれば山となるように私たちのできる小さな活動を大切にして、たくさんの人たちで協力しあい大きなものにしていきたいと思いました。

     あらためて、平和って何だろうと思いました。どういう状態を平和っていうのでしょう? 今は平和なのかな?

      那覇と中北部の人々の意識の違い。コザや読谷で育った人はあたりまえに基地と小さい頃から様々な関係性をもっている。(いいイメージ、悪いイメージ含めて) 那覇にしか住んでいない私は感覚がぜんぜん違う。

     あまりにも、生活が(現実が)事実(起こっていること)とかけはなれているな、と思った。わからない、見ない、知ろうとしない、というこわさ。 

     平和学習の一歩は、沖縄の人が関心を持つ、本土の人が関心を持つ事。どうすれば関心を持てるのかが大切。

     世界の平和を常に願い、望んでいる思いは強いですが、基地問題で同じ沖縄でも温度差があることや、テレビでしかおこっている状況を知らない自分に矛盾を感じてしまいました。しかし、今日の平和学習を通して、細いな意識、疑問、繋がりから私たちなりの平和の考え方、自分ができること、好きなことを発見し、平和と関連させていくことができると感じることができました。

     やはり意識のある人は意見があり、議論もある。一番の問題点は無関心ではないか?関心のない人に平和学習をしてもなかなか伝わらないと思う。→学校で教える数学や英語のように。。

     世界のしくみが先進国に有利になるような差別的構造につくられている。フィリピンのバナナもチョコレートもサッカーボールも沖縄の基地の問題も構造的差別のあらわれであることが4名の話からわかった。

     「平和学習」がイベント化してるってゆうのに同感。平和を学ぶってたいくつって思わされてるのかも。説教くさいし。伝わらない。「自分」にまで落とし込むにはどうしたらいいのか考えていく必要があると思う。

     平和学習、皆さんの話をききながら、私は毎年やるもの、当たり前のもの(?)すぎて怖いという感覚がなかったなーと思いました。 色々な方向から平和学習ができる! 

     平和学習が戦争と現在の基地とつながらない。つながらないようにしている。 今と昔をつなげる。間をつなげる。この基地が沖縄にドーンとあるのは異常すぎ。

     生まれたころから基地は普通にあって、普通だと思ってたけど、なんで?と疑問を持たないといけないことだと思った。

     生きているだけに、生活しているだけに、いろんな立場からの気持ちの視点がかくじつにあるんだな、と思いました。いろんな立場にいる、いろんな気持ちの中で、自分も自分として立っているんだけど、北上田さんの教育者としてのやわらかいこうい。自分の気持ちと相手の気持ちをくみとっていくやり方は時間をかけるケドいいなと思いました。とっても。  宮里さんの話で、自分と戦争とのつながりに自分としてもっと向きあって、そして、平和になる自分を自分の立場としてつくっていかないといけないなと思いました。 戦争反対じゃなくて戦争の反対を選んでいく(こんなステキな事を言っていた人がいました)事をもっと日常の中、自分の仕事の中でやりたいと思いました。

     金融に携わる身として、日本人の貯蓄が米国の軍資金源になっている現状を無視していた自分に腹が立つ。 最近、多くの経済学者が「今こそ国債を発行すべき」と声高に言っているが、それが日本経済を良くすることに使われるのではなく、戦争の為に利用されると考えるとゾッとする。

     4人の皆さん、それぞれの話が心からの言葉でつつみかくすことなく伝わってきたので(うまく表せないのですが)とてもすばらしいと思いました。同世代として、そして、それが、沖縄人、そうでない人という区別をせず、されず聞けた、ということ、そういう風に話されていたことが自分も1人の人間として、どう考えて、うごいていくのかと考えられるような場でとてもうれしいです。(基地や戦争となると、話せなくなるような雰囲気がかんじられなかたことがすばらしくうれしいです。) 私は東京から来た富山出身なのですが、とてもいい場にいられました。ありがとうございました。

     それぞれの理由、それぞれのおもわく。    よくわからないけど、若い人がこんなに平和について真剣に考えているのが嬉しいと思います。 これからも目を見開いて、いろんな歴史、立場を見てね。

     立場によって変わる主張は置いて世界の平和実現のためのアイディアをブレインストーミングからはじめる事が意味のある平和学習だと思います。 その時アイディアはたたいても良いがころさず、人格はたたかないこと!

     みなさんのそれぞれのきっかけが聞けて良かったです。 私が子どもの時には、みんな米軍が守ってくれているという意識が共通のものでした。 教育・学習の大切さを改めて感じました。

     基地がその地域に与えている影響を新たに考えることができました。 同じ日本人、沖縄の人なのにもかかわらず意識の差異があるということを考えさせられた。

     今日は、自分と年の近い人達の平和に対する思いを聞いて、小学校から6月が近くになると平和学習を授業などで受けてきたが、自分達の世代が親となり、次の子供達の世代へどう伝えていかなければならないかということを深く考えさせられました。 沖縄にとって「基地問題」はデリケートな問題となっているが、目をそむけることなく向かいあっていかなければと思う。

     4人のパネリストの話を聴き、一人一人が自分の目線からの問題意識を持っていてすごいと思った。 私は日頃から世の中の状態に不満を持っているが、それをどうすることもできず、心の中でモヤモヤとわだかまりのようになっていたが、話を聴いていてまずは自分なりの目線を持つことが大事ではないかと思った。

     「つなぎめ」をきちんと作って遠いどこか、遠い昔に起こった(起きている)問題(基地のことや戦争のこと)にしないようにしなくてはいけない、というのが印象的だった。伝えるって難しい。受け取るって難しい。それでも知ることや考えること、伝えることや受け取ることをやめたくないと感じた。

     もし、現実に戦闘状況になったら、一番影響があるのは、第一線に送られる兵士であると思う。(あるいは自衛隊員) チラシをもらったONE SHOT ONE KILLでも兵士教育が行われている。自分の身近である人だからこそ基地などの問題を話題にしにくいが、親しい人が戦争に行き、人を殺す、もしかしたら殺されるという現実をどう止めることができるのかと思う。



パネリストに質問したいこと

     世界的なつながり は、つながっている。どう繋がっているのかを宮里さんの話(イラク戦争を経済的な支え日本)具体的に知らされることの大切さを思いました。

     平和学習を小さな子どもたち(小学生以下)にしていくにはどうしたらよいでしょうか?

     被害を強調するだけでは、自らの「加害性」を見えにくくすると思う。なので「被害性」を強調する学習には限界がある。他者との関係のなかで「われわれが他者を傷つけてしまうかもしれない」ということを意識できるような学習が必要ではないかと思う!!

     「悲惨な沖縄戦」とよく言われるけれど、私はとても違和感を覚えます。それは、海外(イタリア、アフガニスタン…etc)の方と交流する機会があって、その方たちは“戦争が日常ですごく身近なこと。”と言っていて、世界をみると“唯一の地上戦”とか言われる沖縄戦は各地で同じような、またはそれ以上のことが行われていることがわかりました。ただ、沖縄戦の規模が小さいとかそんなことを言いたいわけじゃなくて、みなさんが言っていたように、世界で起こっている戦争をよくよく細かくみていくと沖縄の基地とつながるわけで、沖縄が特別とかではなくて身近につながることだと思っています。でも、みなさんの言っていることと、沖縄戦に関して行われている運動は少し違うみたいに感じて、だから「悲惨」とか沖縄を特別視みたいに言われる平和学習が私の中でモヤモヤします。この違和感って何なんでしょうか?どう思いますか?

     知花さんへ 県内に問題を訴えるアーティストが少ない、やってもリアクションが少ない、というお話をされていましたが、それは何故だと思われますか?知花さん本人はこうした活動をしていて批判されたり冷ややかに見られるなど悪影響などはあるのでしょうか?宮里さんが慰霊の日など、その日が過ぎたら忘れてしまうという話をされていましたが、Peace Musicでも同様のことがあるような気がします。葛藤なども抱えているのでは、と思いますが、どのように考えていらっしゃいますか?

     「平和とは」を考える上で基地問題を解決するだけで事足りるのかは疑問でした。アメラジアンの子どもを見ると、アメリカ、日本、沖縄のイデオロギー的な関係がいっしゅんでふきとぶ体験をする! 即物的な個々人が感じる情動感覚が「基地問題」で見えづらくなっているのも事実だと思う。基地がなくなっても同じようなことをする危険がある。

     アメラジアンスクールでボランティアできますか?

     平和をつくる学習のヒントがあればお聞きしたいです。

     「沖縄に基地は不要」という話は充分理解できるものでしたが、現実案としてそれに代えうるもの、無くなった事による様々な穴を埋める方法として何を考えていらっしゃいますか?

     知花さんへ 辺野古の野外フェスティバルで、へのこの住民の意識にどれくらい働きかけられたか? 手応えは感じますか?

     基地問題に無関心な人達に対してどのように思いを伝えて生きたいと考えていますか?

     上の世代(5060代)の人々の集会や活動への違和感は感じますか?また、それがあるとしたらどんな部分ですか?

     戦争体験が風化するのは悲しい事です。でも昔も今も変わらない事があると思います。例えば、今でも人は差別をしますよね。それって戦争の種です。こんな事から新たな「平和学習」というものが生まれないでしょうか?

     平和、これからの未来のために行っていきたいことは?つづけていきたいことは?新しく行いたいことは?

     “関心”がキーワードだと思います。左(今日話をきいて思ったこと)に書きましたが、平和に対する、基地問題、戦争に関心を持つことが大切だと思います。先日の選挙、沖縄の投票率の低さにがっかりしました。一番の当事者である沖縄県民が関心を持ち声を上げるために、どうすれば良いか?本土の人達に沖縄の県民視点で、関心を持ってもらうにはどうすれば良いか? ①意識する→②考える→③普遍的な平和学習

     新聞を読まない、テレビは娯楽のためのみ、そんな若い人がほとんどです。おしつけがましくない楽しい方法で「平和学習」を考えたら良いのかな?と思います。アイディアあればお願いします。

     “平和学習”としたときに、どのようなやり方でテーマとその問題や学習をうける側が近づいていけると思いますか?とてもむずかしいと思いますが。

     日々の生活の中でできる平和学習とは?

     どういう状況を平和だと思いますか? みなさんが思い描く理想の世界は? →そのために何が必要?

     戦争を起こす理由(昔の日本、現在までの米国、その他の国)、複雑すぎて私にはわからない。 何かをやってすぐ解決のような簡単な問題ではない? あなたの思う現実対策は?

     米兵は“良き隣人政策”で、又、米兵は“基地内住民もっと人的活用をすべき”と基地を受入れるように積極的だが、、、 どう思うか? どう抵抗できるか?

     同世代の仲間を増やしたい!と思った場面があったら教えてください。(若い人たちのネットワークを広げるヒントとして)

     一緒にもっと考えたいこと、基地にかわる働き方、生き方

     自分自身が今をどう知ろうとしているか、「子ども」に伝える前に、自分がどうするかだと思いました。

     自分達より上の世代(戦争体験者以下)の戦後の世代に向けての「平和学習」実施するとすると、どのようなカタチ、方法を考えますか?

     「平和」とタイトルにつける事で拒否反応を示す年代に向けて、どうやってイマ(現在)の若い世代の平和に対する考えを伝えて将来に希望がつながる未来の沖縄像を伝えることができるでしょうか? ☆特に本土に人に向けて。

     沖縄と本土(ヤマト)との「平和学習」に対する温度差の違いについてどう思うか?

     私は、ガイドサークルに所属しています。よく、中・高生のみんなに、「平和って何ですか?」と聞かれます。パネリストの皆さんにとって、「平和」って何ですか?

     教員をしています。 毎年「慰霊の日の特別授業」で感じることですが、過渡期かな?と思います。子どもたちは「小学校、中学校でも同じビデオ、話を聞いた。戦争がいけないのはわかるけど、正直うんざり」という声を聞くこともあります。体験者も減っていく中で、どのような形で子どもたちに平和教育をすすめていけるのか、ヒントがもらえればと思います。



USTREAMでの生配信風景
USTREM画面



このフォーラムの様子は、沖縄タイムス、琉球新報にも掲載されました。
→ 新聞掲載記事はこちら。

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明日(8/15)は、75年目の終戦記念日です。
あらためて「平和」について考える機会としたいです。