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2022年4月25日月曜日

ジオラマの修繕

若狭公民館のロビーの窓際に、若狭町のジオラマがあります。
このジオラマは、平成8年に行われた講座の一環で製作されたそうです。
若狭公民館30周年事業のイベントについて会議している中で、「ジオラマの地名札が、外れてる!位置が違う!」といった声があり、早速直すことになりました。




修繕といっても、地名札を正しい位置に直すだけの作業☝
2つの古地図を参考にして、正しい位置につけていきます。


この地図は、受付にて10円でコピーできます



ハルスージがなかなか見つかりません・・・

ハルスージ(畑の路地のこと)



地図を見渡しても、「森下スージ」「畳屋スージ」「定規ヤスージ」「天使館スージ」などなど、スージ(路地)の名称が多くてかなり苦戦しましたが、何とか見つかりました。

※旧那覇の歴史・民俗地図より


古地図を見ながら修繕していきましたが、古地図を良く見ると地名の他に、「道沿いに墓」、「今川焼の屋台」「よく二高女を冷やかした」「高い堀(知事官舎)」など、様々な情報がありました!!
(この古地図は、平成7年度「うきしま文学」で製作されました。)

※平成7年度「うきしま大学-若狭町 古地図」より



ようやく完成しました★

その他修繕箇所
ハルスージの場所


若狭公民館の近くを通りかかった際は、是非お立ち寄りください!!




(平岡)












2017年6月8日木曜日

ゆんたく会の様子。No.3

6月2日のゆんたく会。
この日は「不易流行(ふえきりゅうこう)」という言葉から始まりました。

「不易流行」とは…
『(芭蕉の俳諧用語)不易は詩的生命の基本的永遠性を有する体。流行は詩における流転の相で、その時々の新風の体。この二体は共に風雅の誠から出るものであるから、根元においては一に帰すべきものであるという。』 ー広辞苑 第四版よりー

つまり…
『いつまでも変化しない本質的なものの中にも、新しさをとり入れて変化していくという考え』で『松尾芭蕉が提唱した俳諧理念・哲学のひとつ』なのだそうです。


よく ファッションの世界でも流行が繰り返されるといわれます。
「不易流行」。
参加者のひとりが最近の若者の服装をみて、感じたことのようです。

また、「服は体をなす」という言葉もでてきました。
身なりをきちんと整えることで心を整える。
何も高い服をきて、ファッショナブルな装いをすることではなく、時と場所に応じた、その人らしい装い。
「身なりは人格をあらわすからね〜」とのこと。

この話の流れから、ある参加者(80代)の方が幼かった頃の話になりました。
「昔のおばあさんたちは、芭蕉布の着物をきちんと着こなしていたね。」
「シークヮーサーで綺麗に洗って、シャンとした格好をしていらした。」

シークヮーサーで芭蕉布を洗う!?
私は初めて知りました。

少し調べてみると…
昔は織り上げた芭蕉布をシークヮーサーの果汁で洗って、固い布を柔らかくしていたそうです。

ちなみに…
『シーは「酸」、クヮーサーは「食わせるもの」を表し、シークヮーサーという名称は「酸を食わせるもの」を表す。これは、芭蕉布を織り上げた際に、そのままでは固い布をシークヮーサーの果汁で洗浄し、柔らかくしたことに由来する。』 
 ー沖縄大百科(提供:エフエム那覇 ※weblio辞典)よりー

のだそうです。
食用としてはもちろん、こうした使い方もしていたのですね!


毎週金曜日のゆんたく会。
いろいろな話題がでます。
ひとつの言葉から話がどんどん広がって。

日常の小さな思い出話から垣間見える、昔の那覇や沖縄の様子。
小さいけれど、大切な歴史の一部だと思います。

************
「ゆんたく会」
【日時】毎週金曜日 10:00〜12:00
【場所】若狭公民館 第2研修室
【費用】毎回100円(お茶菓子代として)

2017年5月19日金曜日

「ゆんたく会」の様子。No.2

先週の「ゆんたく会」
この日はある新聞記事をもとにゆんたく会が始まりました。

2012年7月22日付けの琉球新報。
戦前、那覇で運行していた路面電車について掲載された新聞記事(「戦前、那覇で運行 路面電車“幻”の切符・定期券入手」琉球新報)でした。


ですが…
私が参加できたのは、ほんの少しの時間。
ほとんどお話は聞けなかったのですが…
断片だけでもお伝えします。


記事によると、『軽便鉄道よりも7カ月早く県内を走っており、沖縄初の公共交通機関といわれている。』とのこと。
また、路線図をみると、通堂〜首里まで通っており、その間に久米、西武門、若狭町も含まれています。
ですが、運行していた期間は短かった(約20年間)ようで、『県内にバスが普及したため、33年に運休した。』そうです。

この記事を読んだ参加者(80歳代)から 「首里の坂道では(電車に馬力がないから)乗客が電車から降りて押しながら進んだりもしていた」とのおはなしが。

また、別の方からは、「木炭バスっていうのもあったよね!」というおはなし!
私には初めて聞いた言葉(木炭バス)でした。
ガソリンの代わりに木炭を燃料としていたそうです。

「車社会の沖縄で、また路面電車が復活してくれると(渋滞緩和になって)いいねー」とか、
「高齢者の移動手段として活躍できるんじゃないかねー(最近では自動車免許の自主返納が話題になっているけど…車がないと移動に困るし…)」とか、ゆんたくはいろいろ広がります。


私が参加できたのはここまででしたが、ゆんたく会は話題を変えながら続きました。
思い出話しの中から見えてくる沖縄の歴史。
おはなしは個人的な思い出ですが、そこから見えてくる当時の雰囲気や生活の様子、価値観などは貴重なものだと思います。

そして…
少し大げさにいうと、「人と話すことは、生きる力につながる」とのこと。
特に高齢になるとその重要度は増すそう。
「ボケ防止にもなるからねー。笑」とおっしゃっていました。
お近くに関心がありそうな方がいましたら、ぜひお声かけしてみてください。

そして、若い方もご興味ある方はぜひ!
昔の沖縄の様子などが知れておもしろいです!
おいしいおやつが食べられるかも!?笑


「ゆんたく会」
【日時】毎週金曜日 10:00〜12:00
【場所】若狭公民館 第2研修室

2017年5月16日火曜日

新サークルご紹介 「ゆんたく会」

今年度からサークル活動として新たに始まった「ゆんたく会」。
時々、私たち職員もお部屋を覗いてお話を聞いたりしています。

《2017.5.12 金 の様子》
ゆんたく会では、いろんな話題が飛びかいます。
「小さい頃(戦後)に、(防疫対策で)DDT(殺虫剤)をかけられた」という話に始まり、思い出話や健康に生きていくために心がけていることなどなど…

「 天地人三才の恩徳」という言葉もでてきました。
”天”は宇宙や精神、”地”は大地や自然、”人”は社会や人から受ける恵。
生かされていることへの感謝の気持ちを持ちながら生きていくことが大切とのお話でした。
特に高齢になると、人との関わりが重要度を増すとのこと。
家族や友人との会話が心と身体の健康にとってとても大切。 幸せなのは夫婦ともに健康で長生きできること。日常の小さな幸せをしっかり味わいながら生活することが大切とのお話でした。

「ゆんたく会」は昨年度の講座(「若狭町ゆんたく会」)から発展したサークルです。
講座は島袋文雄氏が会の中心となり、戦前から大きく変化した若狭町の様子などを思い出話とともに語らいました。
参加者から「このような機会を続けたい」との声があがり、今年度からサークルとして活動することになりました。

新たなサークルとなった「ゆんたく会」 。
88歳の島袋文雄氏を筆頭に、70代、60代の方々が集います。
若狭町に限らず、那覇や沖縄の昔の風景や生活の様子など、様々なことをゆんたくをしながら、町の歴史を記録する機会になればと思います。

思い出話から、懐かしいおやつが食べたいという声もでて、毎回(?)おやつを食べながら、和やかな雰囲気の中でゆんたくしています。
ご興味のある方はぜひ一度遊びにいらしてください♪

「ゆんたく会」
【日時】毎週金曜日 10:00〜12:00
【場所】若狭公民館 第2研修室

※写真は昨年度講座の様子です。












2017年3月30日木曜日

みなとまち歴史散歩 レポート

若狭周辺は、歴史的な見どころが満載。歴史に関心の高い方も多く、ニーズもあるので過去にも歴史講座は度々行ってきました。
今回は「泊・前島」「波上・辻」「久米・西町・東町」「若狭・松山」と4つの地区に分け、それぞれの回ごとに異なる講師の方をお迎えし、非常に内容の濃いお話しを伺うことができました。

最初の「泊・前島今昔物語」は島袋文雄先生をお招きし講話をして頂きました。
島袋先生は前島で生まれ育ち、戦前の「那覇」のことをとても良く記憶されています。
冗談も交えながらご自身の幼少の頃の思い出や町の変遷についてお話しをして下さり、和やかな雰囲気の楽しい講演会になりました。

しかし、あろうことかこの日の写真のデータをすべて消してしまい、写真を掲載できません。申し訳ありません!!

2日目『神様!仏様!オーマイゴッド!!〜波上・辻を歩く〜』の回には講師に那覇市中央公民館の古塚館長をお迎えしました。
この日は最初に波上神宮の参集殿で講義を聞きました。


ちょっと前にブラタモリの沖縄の回でタモリさんを案内していた古塚館長。みんなが聞きたい、ブラタモリの収録の裏側の話もしてくださいました。
また、巡見では、特別に波上神宮の裏側の聖域にも入らせて頂きました!
そのほか、唐守森など志良堂御嶽などをまわり、参加者の皆さんは古塚館長の豊富な知識と話の面白さに、夢中になって話を聞いている様子でした!



そして、3回目は久米・西町・東町の巡見をしました。
講師には沖縄県立博物館・美術館の館長、田名真之さんを迎えました。
西町・東町はブラタモでも取り上げられた、オールド那覇(旧那覇)の原点。
そして、久米も琉球王朝時代から中国などとの外交や、学問や文化の振興を支えた重要な場所。それだけに史跡や旧跡なども多く、見所が満載でした。
みなさんが目を輝かせながら話に聞き入り、たくさん質問も出ていました。
話を聞いてみると景色も違って見えてくことを感じました。



最後、第4回目は那覇市歴史博物館の外間さんにお越しいただき、若狭・松山を巡りました。若狭・松山も多くの史跡・旧跡があり、今までにも地域の歴史を勉強されていたような方でもはじめて知ったという場所があったようでした。
また、知っている場所でもはじめて聞くエピソードがあったりと、知らないことが多いと感じた、もっと勉強したいという感想も多く寄せられました。



この4回の講座を通して、町はもともとあったもののように思っていましたが、できていくものなんだなということを感じました。今でも変わり続けるこの地域の現在と過去を知り、より良い未来につなげていくことができたらと思います。(真)


2016年5月20日金曜日

波上宮 例大祭

先日、波上宮で行われた例大祭に参加してきました。



例大祭とは、毎年決まった日に行われる最も重要な祭祀なのだそうです。
波上宮では5月17日。今年は火曜日にあたりました。


県内企業、各団体等、地域の代表の方々が数多く参加されていました。
雅楽の音色と神聖な空気が流れる中で祭祀が行われました。

この日の天気は雨。
ですが、公民館から波上宮に向かう時間には雨もやみ、祭祀の間、そして公民館へ戻る時間まで降らずにもってくれました。


祭祀が始まり、穀物や野菜、優美な舞踊などが奉納され、これまでの日頃の感謝とこれからの恵をお祈りしました。





波上宮は琉球八社の第一の神社として尊崇されてきました。
鼻のように海に突き出た地形から鼻城(はなぐすく)、花城(はなぐすく)ともいわれ、ニライカナイに近い場所として、豊漁と豊穣の祈りの聖地、拝所として始まったといわれています。

               (資料提供:波上宮 年代不明)



祭祀の後には、隣の神宮会館にて、みんなで会食しながら、波上宮の紹介ビデオを鑑賞しました。



琉球八社の首座を占める波上宮。
最近では、観光客の方も多く訪れる場所となっています。


沖縄に住んでいても、なかなか訪れることができなかったのですが、公民館で勤めるようになって、こうした機会をいただくことができました。

沖縄の歴史や地域の歴史に触れることのできる時間は、とても大切な時間だなと感じます。
訪れたことのない方は、ぜひ一度足を運んでみてはいかがでしょうか。












2015年1月19日月曜日

ポントンプン 那覇市・若狭「でいごの木」

1月18日、沖縄タイムスビル 1F ロビーラウンジで開催中の「とびだせ えほんの せかい」展を観に行きました。


「とびだせ えほんの せかい」は、sirop drop(しろっぷどろっぷ)という、めぐ・savaによるあそびエンターテイメントユニットによる展覧会です。


シロップドロップは、地域のおもしろい・ひと・こと・ものをあそびにかえて、きりとり、届ける、おきなわの地域に眠るものがたりをあつめておはなしうたにする「ポントンプン星集めものがたり」プロジェクトを遂行中です。

沖縄各地を舞台とした物語をステキな絵本の世界で表現しています。


今回は、「とびだせ えほんの せかい」と名付けているように、そのステキな絵本の世界からとびだして、シロップドロップがうたとかたりを交えたショーを催してくれました。


ものがたりと絵とうたによって創りだされるやさしい世界は、ハイテク&アナログを駆使しながら、いろんなところにお届けできるようです。

 


これまでは、沖縄市を拠点に活動していたシロップドロップのお二人。
実は今回、那覇で展覧会を開催するにあたり、若狭公民館に訪ねてきてくれました。

若狭地域にある「でいごの木」をモチーフにしたものがたりをつくったので、実際にその木を見てみたい、どこにあるのか教えてほしい、ということと、
せっかくなので、展覧会期中に若狭の子どもたちにものがたりをみてほしい、という二つのリクエストがありました。

モチーフとなった「でいごの木」がある場所を教え、多くの子どもたちに見てもらえる場をつくれるように、若狭児童館を紹介しました。


先日ブログで報告したように、若狭児童館でのショーは大盛況だったようでよかったです。


年末に行った職員研修では、公民館に行くと愉しいことをやっている、また、なにか困ったことがある、相談したいことがある、というときは「とりあえず」公民館に行ってみよう!と思われる存在となることを目指すという想いを込めて『「とりあえず」公民館へ!』というキャッチフレーズが提案されました。

今回、シロップドロップのお二人が「とりあえず」若狭公民館に来てくれたことによって、そこから若狭児童館でショーを披露することにつながったので、研修で話し合ったことがさっそくひとつ形になったような気がして嬉しかったです。


さて、そのシロップドロップのすてきなショーの様子を動画で撮ってきたのでご紹介します。

おきなわの地域に眠るものがたりをあつめておはなしうたにする「ポントンプン星集めものがたり」プロジェクトで行った那覇市・若狭の「でいごの木」のお話です。
下の「▷」をクリックしてください。

(宮城)





2014年12月8日月曜日

うちなーぐち紙芝居「耳切坊主」



若狭公民館制作の紙芝居「耳切坊主」、本年度は講座などで大活躍しましたが、現在うちなーぐちヴァージョンを製作中です。

うちなーぐちとは沖縄方言のことで、日本語とはかなり違う、一説では独自の言語であるとも言われているものです。ハイサイ、ハイタイ、などが有名ですが、最近では沖縄独自の言葉を見直そうということで、方言再評価の動きが高まっています。そんな訳で今回、方言指導の先生、久高将一先生が丁寧に翻訳して下さいました。

なぜ「耳切坊主」を選んだかというと、もともとこの話は沖縄芝居で人気の出た民話で、妖怪、耳切坊主と正義のヒーロー、北谷王子の対決という、明確な図式がかっちり描かれたものだからです。盛り上がるところがいくつもあり、その箇所は標準語で読むよりもうちなーぐちで読む方がワクワクします、

ちょこっと冒頭の部分を、標準語バージョンとうちなーぐちバージョンで載せますので、その違いを確かめてみて下さい。

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【標準語バージョン】

 時は1700年代、尚敬王の時代。那覇の若狭に、護道院という名前の寺があった。そのころの若狭は切り立った崖が美しいユーチヌサチもそのまま残っており、護道院はその近くにあったと伝えられている。

 その護道院(ごどういん)に、一人の坊主がいた。坊主の名は黒金座主(くろがねざーし)といい、話術がたくみで、信者も多く、遠くから彼の説教を聞きにくる者がいるほど、護道院は賑わっていた。

 だが、どこかで何かが狂いだしたのか、あるいは元からそうだったのかさだかではないが、いつの頃からか護道院に怪しい噂が立ち始めた。

 どうやら、ジチチケー、すなわち妖術使いであった黒金座主が、自らの力を悪い方向へと使い始めたようであった。

【うちなーぐちバージョン】

 とちや1700年代、なまから三百年めえ、那覇ぬ若狭んかい、護道院でぃる、名—ぬティラがあたん。うぬ時分ぬ若狭んかいや、ユーチヌサチんでぃいる、ちりたっちょうる、ちゅらばんたぬ、うぬままぬくとぅたん。護道院や、うぬ近さんかい、あたんでぃぬくとやん。

 うぬ護道院ぬんかいや、黒金座主(くるがにざーし)でぃいいる、一人(ちゅい)ぬ坊主(ぼーじ)がうーたん。ちゅぬくくる、ひきちきいぬ、話ぬわざむっち、敬い信じいぬちゅんまんでぃ、遠くから話ちちいがちゅうるむぬん、まんでぃ、護道院や繁盛そうたん。

 あんしが、まあがなうてぃ、ぬうがながばっぺー、はじまたん。ゆうさんねえ、むとぅむとぅから、あんがやたらわからんしが、うぬうちに、護道院ぬんかい、いふぅな噂ぬ立ち始またん。

 くれえ、ジチチケー、やたる黒金座主が、どぅーぬちから、やなぐとぅんかい、ちかいはじみたぬ、ふうじやたん。

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来年はうちなーぐち紙芝居を披露できると思いますので、乞うご期待下さいませ!



2014年4月30日水曜日

若狭の史跡・拝所・神社MAP

若狭公民館には普段からいろんな方が訪ねてくるのですが、ときおりこんなお客様がいらっしゃいます。

「すいません。若狭のウタキを教えて欲しいんですけど」

ウタキとは御嶽とも書き、ウガンジュ、もしくは拝所ともいいます。地元の神様にウートートー(お祈り)する場所のことです。公民館は開かれた公の場所ですので、そういったお客様にも対応します。

若狭地域は歴史が古く、ウタキや史跡、井戸などが沢山あります。そこで初心者にもそういったものが理解できるように、手作りですが簡単な地図と説明を作りました。

若狭にはここに載っているよりももっと多くの史跡があるのですが、有名な場所はだいたい載っています。欲しい方は公民館の窓口にいらしてから「ウタキマップってありますか?」とひっそりと言って見て下さい。


2014年4月16日水曜日

三角公園/松山・若松拝所

松山にある若松公園(通称、三角公園)には、松山・若松拝所というものがあります。ここは昔から地域の拝所として拝まれてきました。拝所の横には井戸もありますが、これは本物の井戸ではなく、昔別の場所にあって拝まれていた井戸を移転して持って来た感じです。





沖縄では井戸というのは神の宿る崇拝の対象として存在しており、水が出なくなったあとも、このように形だけ復活させて、拝まれることが良くあります。

また公園のはずれには、こんな歴史的なベンチがあります。いつ作られたのか分かりませんが、かなり古い物のようです。アサノセメント、金城キク商会、沖縄青年会議所、琉球石油の文字が見えます。今時、こんなコンクリートの椅子はありません。



三角公園の中には、いろんな歴史が少しずつ詰まっています。訪れた際には、目を凝らして色々探してみてくださいね

2013年12月2日月曜日

天久宮

若狭の北側、泊を越えたもう少し向こう側、外人墓地の裏あたりにあるのが、天久宮(あめくぐう)です。

「琉球国由来記」によると、こんな話が残っています。

昔、近くの銘苅村に翁子という者がいて、夕暮れ時、近くの天久野から立派な法師が美しい女性と降りてくるのを見た。その山の中腹には小さな洞窟があり、湧き水が流れていた。翁子が法師に「あの女性は何者か」と聞くと、法師は「自分は山の中腹に住んでいるが、女はこの森に住んでいるものだが、名前は知らない」と答えた。ある時、女性の姿を見かけた翁子は不思議に思い、後をつけてみると、ちょうど洞窟の所でその女性は消えてしまった。驚いた翁子は時の首里城へとそれを伝えた。それを聞いた王府は、役人を使わせて、それが事実かどうか確かめようとした。試しに火のついていない線香を役人が洞窟にお供えしてみると、自然に火がつき、燃え始めたので、王府はそこを神聖な場所として定め、社殿を造営して祀ることにした。

その後ご神託があり、「我は熊野権現なり、衆生の利益のために顕現した。女人は国の守護神弁財天なり」と言われた。

この話が天久宮の創世神話となって現在まで語り継がれています。

住宅地の中にあって少し見つけにくいかもしれませんが、泊外人墓地の向かって右側の道を進んでいくと、途中の道を左に曲がると見つけられると思います。

鳥居はこんな感じです。



鳥居の敷地内にあるウタキです。



一番下に降りた場所。別名天久ウタキともいうようです。




すぐ横には真言宗の聖現寺もありますが、天久宮は沖縄戦で一度消失し、別の場所にあったのが、戦後再びもとの場所に移築されました。

1400年代に創立されたといわれる由緒ある場所です。ぜひ訪れてみて下さい。





2013年9月27日金曜日

辻の井戸

公民館にいると、頻繁にこういう方がきます。


『ユタの人から若狭の井戸に拝みにいけといわれたけど、どこかねー』

はい、ここです(笑)

唐守森の近くにありますが、かなりわかりにくい上に、隠れているのでおそらく説明なしでは見つけられません。

その昔、若狭二はいくつも井戸があったのですが、海に近いせいかどの井戸も塩の味がしたといいます。

しかしここだけは、なぜか水が甘く、漆塗りの漆器などにも利用されたそうです。

今でも毎週のように人が道を聞きにくる、不思議な井戸です。

この場所にどうしてもいかなければならない、という方で、若狭公民館にこられた方にのみ、お伝えしています。電話でのお問い合わせにはお答えできません。あしからず。(小原)


2013年9月10日火曜日

【琉球新報掲載】「赤面原とゆうちぬさち」寄贈式

本日の琉球新報に「赤面原とゆうちぬさち」寄贈式の記事が載っていました。


この絵画は、近日中に館内に展示予定です。

展示した際には、またこのブログで報告させていただきます。


2013年9月6日金曜日

画家、野津唯市さんの作品「赤面原とゆーちぬさち」が若狭公民館に寄贈されました。

県内在住の画家、野津唯市さんの作品「赤面原とゆーちぬさち」が、若狭公民館に寄贈されることになり、9月4日に式典が行われました。



この作品は100号のキャンバスに描かれた作品で、迫力はもとより、その描かれている場所がいまは存在しないユーチヌサチ(雪の崎)であることも、作品の貴重さを表しています。



ユーチヌサチとは、現在の若狭の海側に突き出た岬で、以前のブログにも書いたように、埋め立てに使うためにダイナマイトで爆破されてしまった場所です。

自ら作品の説明と思い出を語って下さった野津さん。話を聞いているだけで、その場面、場所にタイムスリップした感覚になってしまいます。



画家の野津さんは幼少時代若狭で過ごしたことがあり、そのときの記憶を元に描いたそうです。赤面原(あかちらばる)とはそこに面した海の名称で、ちょうど絵の右側の海がそれに当たります。

この絵はまもなく若狭公民館に飾られますので、ぜひ来館してご覧になってください。(小)


2013年5月28日火曜日

泊外人墓地 その後

前回に引き続いて、泊外人墓地について書きます。

前にも書きましたが、ここにはペリー提督上陸之碑があります。

当時は発音をそのまま表記したので、ペリーではなくて、ペルリ提督、とあります。



その碑文の下には、次のような深いメッセージが刻まれています。



「琉球人の繁栄を祈り、且つ琉球人とアメリカ人とが常に友人たらんことを望む」

これはペリー提督が、1853年に大美御殿で行った挨拶でしゃべった言葉とされています。ペリーがやってきた目的からすると社交辞令でしゃべった可能性もありますが、現在、この言葉は重く、非常に重要な意味があると思います。

昨日はメモリアルディでしたので、すべての墓に星条旗とたむけの花が供えられていましたが、前にここでも書いた事のあるウィリアム・ボードの墓にも星条旗がありました。



また単に「american」とだけ記された墓もありました。



外人墓地を訪れながら、平和とは何か、戦争とは何か、について、深く考えざるをえませんでした。

私達が平和に暮していることの意味を、この墓地は教えてくれているのかもしれません。(小)


2013年5月27日月曜日

泊外人墓地、メモリアルディ

泊外人墓地は、現在でも海兵隊のボランティアなどが清掃作業をしていると前のブログに書きましたが、本日はメモリアルディなので、様相が一変しています。

星条旗と花が供えられています。

戦争はいけないことですね。死んだら日本人も中国人もアメリカ人も、みんなみんな土の中です。平和に感謝しましょう。(小)