2017年11月25日土曜日

地域を知るこの一枚「那覇四町の旗頭」      (広報わかさNo.92)

ブログへの掲載が遅くなってしまいましたが…

広報わかさで連載している「地域を知るこの一枚」
9月発行の92号では「那覇四町の旗頭(なはゆまちの はたがしら)」
を紹介しました。

広報誌の記事をブログでもご紹介しますので、ぜひご覧ください。

琉球王国時代、那覇は交易品を扱うなど、人とものが集まる場所として発展しました。
その中でも、西村、東村、若狭町村、泉崎村は那覇四町と称され、ここから現在の那覇大綱挽につあがる綱挽が生まれたといわれています。

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(広報わかさNo.92 掲載記事)

那覇四町と称される「西村・東村・若狭町村・泉崎村」での綱引が元となり、現在では県内随一の祭となった那覇大挽。
そこに欠かせないのが旗頭である。
地域ごとに繁栄の願いが込められた象徴であり、旗持ちが踊らせる、その姿は誇り高く勇壮である。

                    「那覇四町綱之図」作者不詳(19〜20世紀)    
                             那覇市歴史博物館 所蔵

四町の頭と旗字はそれぞれ、

西町:「八卦(はっち)」「凱歌(がいか)
『三国志で有名な蜀の軍師、諸葛孔明を象徴した旗頭で、(中略) 易の卦によって戦いをし、羽扇を使って指揮した(中略)。「凱歌」とは「戦いに勝って師旅が歌う、すなわち凱歌という」という故事に由来する』※

東町:「大結(うふむすん)」「東(ひがし)
『 人々が結びつきをもつ意味であり、結集・団結し努力することにより社会のあらゆるものが、良い結果として結実するようにとの思いを託し(中略)「東」は(中略)東方の一番旗であることを示す名誉ある旗字であります。』※

若狭・松山:「京判やーま(ちょうばんやーま)」「鎮群(ちんぐん)
『灯籠は三枚の扇子を要で束ねた多弁の菊花模様にも似た美しい灯籠になっています。周囲のごーは井桁と組んで、その組んだ部分を上下左右に配し、その形から京判に似ている事からその名の由来となっています。(中略)若狭町は勇み心の人士も多く旗字の「鎮群」の二文字はその意気を象徴するが如く』※

泉崎:「巴(ぐーやー)」「泉(いずみ)
『「ぐーやー」は湧き出る水の渦巻きを表し、潤いに満ちた地域、生命を育み成長させる力、人々の優しさと調和を目指した図案として描かれている。』※

※引用「那覇大綱挽四〇周年記念誌」平成23年11月 那覇大綱挽保存会 より

である。

『那覇四町綱之図』には琉球王朝時代の色鮮やかな旗頭が描かれており、今と変わらぬ平和と繁栄への願いを感じることができる。

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旗頭や那覇大綱挽については各保存会があり、書籍やホームページなどでも、その歴史を知ることができるので、おもしろいですよ♪