2018年12月5日水曜日

報告:「戦前・戦後の壺屋から見る沖縄の姿」

またまたご報告が遅くなりました…

 10月に開催した市民講座の様子です。
「戦前・戦後の壺屋から見る沖縄の姿」と題して
歴史の講座を開催しました。

壺屋地域は沖縄の歴史を学ぶ上で、ポイントとなる場所です。
戦前は、首里に大量の瓦を供給する役目を担い、戦後は沖縄の復興の拠点となったそうです。

講座は2部構成で開催。
第1部は戦前の壺屋。
講師に那覇市立壺屋焼物博物館 主任学芸員の伊集さんをお招きしました。


 古地図を見ながら、歴史をたどっていきます。

今回の講座では、12世紀ごろからスタート。
那覇の前身は離れ小島だった「浮島」なのだそうです。
(今ではすっかり地形が変わってしまいましたが )

久米村(クニンダ)や長虹堤(ちょうこうてい:石橋のこと)ができ、琉球を代表する玄関口としての整備がなされ、「那覇」の発展の礎が築かれていきました。

17世紀になると、各地で焼き物が作られるようになります。
朝鮮からも陶工がやってきて、新しい技術が伝えられたといいます。

しばらくすると、窯の統合がなされ「壺屋」が誕生。
首里で公共施設を建設するため大量の瓦を必要としたため、焼物に適した土地である壺屋に統合されたといいます。

その後は焼物の産地として発展。
しかし、最大の発注元である琉球王国が消滅し、さらに日本の一部となったことで県外からの安価な磁器に打撃を受け厳しい状況に陥りますが、民藝運動の中で高い評価を受け、再興していったといいます。

しかし、時代は戦争へ…
多くの人々が犠牲となり文化も破壊されてしまいます…

沖縄戦では激しい空襲を受け、那覇も焦土と化しますが壺屋地域は大きな爆撃を免れたため比較的被害が少なかったそうです。
そのため、那覇市内では数少ない戦前の雰囲気を残す地区となり、戦後復興の拠点となります。

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ここからは第2部。
講師は島袋文雄(元那覇市教育史編纂主任)さん。


ご自身が見聞きしてきた当時の様子や体験してきたことも交えてお話ししていただきました。

テント小屋の校舎から始まった壺屋初等学校について、当時の校長先生が学校の様子を描いたイラストや詩と一緒に紹介。

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詩:
「草原」 ・・・創立当時作・・・
朝ばれの青草原に校舎たち
文よむ子らの聲もきこえつ

放課後の静にくるゝ草原に
テントはたてり 雨にぬれつゝ

朝な朝なとくつとひきてわが話
しづまりて聞く 子らはいとしも

まどしたの学級園にすいせんは
すがしく咲けり 冬日をあびて

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また、

終戦後の食料配給所のこと、
ガーブー川の改修工事、
公設市場の様子、

「夜の名所」と題された地図や1951年ごろの那覇市の地図をみながら、
平和通り商店街や桜坂社交街、
国際通りの拡張、
旧市街地の開放と街づくりについてなどをお話ししていただきました。

 
さまざまな変化をとげながら発展してきた壺屋地域。
いろんな角度・視点からみていくとおもしろいですね!

参加者の中には壺屋にお住まいの方や、街歩きで壺屋を案内する機会のある方、海外から沖縄のことも学びに来ている方などもいらして、みなさん熱心に聞きいっていました。

今回ご参加していただいたみなさん、講師を引きうけていただいた島袋さん、伊集さん、ありがとうございました!

ちなみに、焼物博物館でもさまざまな催しものをしていますので、ぜひご覧になってみてください。

那覇市立壺屋焼物博物館HP