2025年6月26日木曜日

🌺パーラー公民館 平和講話「少女の見た沖縄戦」開催報告

 〜6月23日慰霊の日を前に、戦争の記憶を次世代へ〜



6月21日(土)、若狭公民館と曙小学校区まちづくり協議会の共催により、戦後80年の節目に平和講話「少女の見た沖縄戦」を開催しました。
当日は蒸し暑い午後にもかかわらず、多くの地域の方々がパーラー公民館(あけぼの公園)に集い、小学生から高齢者まで幅広い世代が耳を傾けました。

挨拶では若狭公民館・宮城館長より、「平和について考える場として、この地域で暮らす皆さんとともに、曙で語り部のお話を聞ける機会を持てたことをうれしく思う」との言葉がありました。


🕊少女の記憶から語る「沖縄戦」とは



語り部としてお話しいただいたのは、昭和10年(1935年)生まれで、当時小学3年生として沖縄戦を体験した上原美智子先生
先生は、曙地域でのまちづくり活動にも長年尽力された方で、「パーラー公民館」の初代館長としても地域に関わってこられました。

講話では、次のような言葉が印象的でした。

  • 「当時、空襲警報が鳴ると、私たちは学校から各学級ごとに割り当てられた防空壕へと逃げた」

  • 「今の避難訓練は火災や地震。でも私たちは戦争から命を守る訓練だった」

  • 「沖縄は本土決戦の拠点にされたことで、多くの人命が失われた」

  • 「6月23日で沖縄戦は終結したけれど、8月の原爆投下まで戦争は続いた。早く終わっていれば、被害は少なかったはず」

  • 「沖縄の平和は、おじいちゃん、おばあちゃん、お父さん、お母さんが頑張って生きたからある。だから今を大切にして生きてほしい

また、先生の話に応じて、小学生たちからも積極的に発言があり、「今はどこで戦争をしてる?」「今の避難訓練で何をしている?」といった美智子先生の問いかけに対して、自分の言葉で答える姿が見られました。



🌿今、平和を考えるということ

美智子先生は最後に、「80年前、私たちは戦争の真っただ中にいた。だけど今、皆さんは冷蔵庫を開ければ何でも食べられる時代にいる。この日常がどれほど尊いかを考えてほしい」と語りました。

「戦争を知らない世代」にとっても、上原先生の語りを通して、当時の暮らしや避難の様子を知る機会、そして参加者の中にも沖縄戦の体験者が違う視点で見た経験を語ってくれました。



動画を文字起こししてアップしています。(こちらから