2013年5月20日月曜日

辻開祖、ウミナイビのことなど


若狭公民館の近くには、辻と呼ばれているエリアがあります。知っている方は知っていらっしゃいますよね。沖縄最大の歓楽街であり、現在ではラブホテルやステーキ屋などがある区画、といえばわかりやすいでしょうか。

その昔、辻には遊郭がありました。中国と冊封使などで交易していたころは、中国人たちの相手をし、薩摩支配が始まると、本土の武士たちの相手をさせられていたといいます。琉球政府にとっては、対外的に来客をもてなすという、政治的にも大変重要な場所だったのです。

だいぶ前に、実際に辻で商売をされていた方と直接お話をする機会があったのですが、遊郭の人間は、穢れているはいるが高貴な存在であるという風な、世間とは一線を画した価値観を持ちながら生活していたとお話されていました。単なる売春とは明らかに違う意味合いと理由付けがあったようです。それは時代というものと切り離せないものなのでしょうが、しかしながらそこには遊郭に売られてしまった女性たちの、自分の運命を呪うよりはそこでたくましく生きて行こうとする態度の現れだったのかもしれません。

辻の成り立ち自体もいろんな説があります。首里の王妃たち三人が陵辱されてしまい、お城に帰れなくなってこの地にとどまったと言う話。それがウミナイビという辻の開祖となって、現在もウタキとして祀られています。城に帰れないので、このウタキから首里を拝んだそうです。





もう一つの説は、沖縄学の大家、伊波普猷が唱えている説なのですが、辻の近くに龍界寺という寺があって、そこの住職は離れに女郎部屋のようなものを作って、女を使って金儲けをしていたといいます。前にお話しした耳切坊主の護道院を地で行くような、悪辣なことをしていたようです(残念ながら龍界寺の住職に妖力はなかったようですが)。

浦添朝満とも呼ばれる第二尚氏王統四代王の尚維衡の時代に、その妃である思戸金按司の侍女が、何らかの理由で龍界寺の住職に売春行為を強要されたといわれています。それが辻の始まりだというのです。私個人はこの説が正しいような気がしていますが、この辺りの見極めは歴史学者の方におまかせするとして。

このウミナイビのウタキは、前にお話ししたウシマジムンと戦った鄭大夫の岩がある唐守森に残っています。碑文にはそれぞれ、

うないみやらびぬ里 辻開祖之墓



花の代 ウトゥダルヌメー 辻開祖



花の代 マカドカニヌメー 辻開祖



花の代 ウミチルヌメー 辻開祖



とあります。この三名が王女の名前だとも、侍女の名前だとも、いろんな説があります。

6月14、15日開催の「わかさ妖怪さんぽ」でも、この場所を訪問します。この近くは、ジュリ(遊女)たちの幽霊が出たとされる場所でもあります。いわゆる、ジュリマジムンと呼ばれる妖怪です。まあ現代の認識からすれば、妖怪ではなく、おそらく幽霊とジャンル分けされるのでしょうが、昔の人はジュリたちの亡霊を、ユーリー(幽霊)とは呼ばずに、マジムン(魔物)と呼んだ訳です。

現在でもジュリ馬行列などの伝統行事が残る辻近辺、様々な歴史が残る希有な地域でもあるのです。(小)