2013年5月1日水曜日

【2013年5月】泊外人墓地

若狭という地域は、中国系の移民や本土からの移民であふれていた町でした。また港もあったので、外国からの人たちも往来を繰り返すという、そんな活気にあふれた町でした。そんな若狭から少し離れた場所にあるのが、泊外人墓地です。



いらっしゃいませ〜・・・・ではなくて(笑)

ペリー来航にまつわる、ウィリアム・ボード事件の首謀者の墓もここにあることは前にお話ししましたが、ペリー提督来航の記念碑も泊外人墓地の中に建っています。





ただし、表記が「ペリー」ではなく、「ペルリ」になっています。金城哲夫がウルトラセブンの宇宙人「ペロリンガ星人」の名前を付ける時に参考にしたとかしなかったとか。(噂で聞いた話なので信憑性はあまりありません・・・笑)確かに「ペリー」と発音するよりも「ペルリ」のほうが、英語の発音的には理にかなっているような気がします。

ペリーがなぜ琉球にやってきたかといえば、そのころアメリカは世界的な捕鯨大国でした。そのためのアジア基地を作る目的でやってきたといわれています。(それは表の理由で、じつは石炭などの鉱物資源をリサーチしにやってきたという説もあります)琉球にやってきた時、ペリーは交渉に決裂した場合、沖縄を占領する目的がありました。なので、最初から上から目線だったのでしょう。友好的な関係を築くというよりも、占領、植民化のための使者だったわけです。

そんな中で起こったウィリアム・ボード事件だったわけですね。前のブログに詳しく書いてあります。


 現在ここは那覇市が管理していますが、アメリカ海兵隊もボランティアで清掃しにきています。少し前までは映画でよく見るような、空砲を使ったセレモニーも行われていましたが、最近になって空砲がうるさいなどの理由で取りやめになっています。一番古い墓は中国人たちのお墓で、一番新しいのはアメリカ軍の兵士のお墓です。新しい墓には今でも花が手向けられ、墓地の中には静かな風が吹いています。

門は閉まっていますが、カギなどはかかっていませんので、一般の方でも入る事ができ、ウィリアム・ボードの墓は、門を入って右側の端っこにひっそりと埋葬してあります。そこを訪れて、いにしえから続く日米関係に想いをはせてみるのはいかがでしょうか。

今月のホームページの画像は、若狭公民館の小原が、泊外人墓地よりお送りしました。