十・十空襲を語り継ぐ「なぐやけの碑」の集い
若狭一丁目自治会から、公民館に相談がありました。十・十空襲についての記述が学校の教科書から載らなくなってきた背景もあり、那覇で大きな空襲があったことを後世に伝えていきたい、というものです。
あわせて、10月10日に開催することで、この日に行う意義を固めていきたいこと、そして和やかな雰囲気で平和について考える会にしたいことも、お話しいただきました。こうした思いを受け、若狭一丁目自治会と力を合わせて準備を進めました。
当日は雨の予報が少し出ていましたが、予想は外れ、晴天のなかでの開催となりました。木陰に包まれながら、なぐやけの碑を眺め、体験者の声、平和への言葉、演舞のプログラムが進みました。司会は下地ななみさんです。
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| 司会者:下地ななえさん |
十・十空襲体験者の声
昨年カジマヤーを迎え、今年で98歳になる島袋俊子さん。
命からがら国頭まで逃げ延び、捕虜となった過酷な体験を通して、「どうにか話し合いで解決できなかったのだろうか」と思いをめぐらせてきたといいます。そんな島袋さんが伝える「喧嘩しても仲直りしてね」という言葉からは、過酷な戦禍を生き抜いた体験者の想いと、日常の対話の大切さを改めて考えさせられました。
平和への言葉
対馬丸記念館 平良次子館長
開館22年目を迎え、飾られた遺影は全体の約4分の1。「命を奪われる時、どれほど苦しかったか」と、遺影の笑顔の奥にある無念に思いを巡らせます。
「誰も傷つかず対話で解決する日々や、武器がいらない時代はいつ来るのか」と問いかけ、平和の実現は「誰が何のためにを考え、行動する私たちにかかっている」と訴えました。
真栄里泰山氏
那覇発祥の地であり、下駄や位牌などを作る職人のまちだった若狭。戦争で全てが焼け、戦後は米軍基地となりましたが、地域の人々の手で街を取り戻しました。
現在はクルーズ船が立ち寄る国際都市へと姿を変えつつあります。かつて若狭大通りで行われた大綱引きや旗頭といった伝統と歴史を子どもたちへ伝え、「『若狭』はいつまでも若い。だからこそ、まちづくりも頑張っていこう」と未来への想いを語りました。
演舞
演舞では、子どもたちの元気な掛け声と笑顔が、会場を包み込みました。
八木空手道場
- 若狭ちむどんどん太鼓
- 若狭松山旗頭実行委員会
碑を囲んで
参加者も、演舞の出演者も、みなさんでなぐやけの碑を囲み、平和について考える時間となりました。
最後は全員でカチャーシー。平和への願いを込めて、喜びも悲しみをかき混ぜるように、輪になって踊りました。
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| みんなでカチャーシー |
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| 館長の最後のあいさつ |
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| 記念にみんなで集合写真 |















