2010年7月28日水曜日

高齢者学級「若狭を走っていた電車から歴史をたどる」第2回

高齢者学級「若狭を走っていた電車から歴史をたどる」が、無事終わりました。
電車の跡を歩いた、第2回、第3回の様子をご報告します。
まずは第2回目からです。

第2回:首里→女学校前(安里十字路)


首里高校の正門前に集合して受付、観音堂に向けて歩き始めます。
この正門付近に、首里の電停(電車停留所)がありました。
当時の記録によれば、回数券、定期券を売る小さい事務所もあったようです。


観音堂近くの路地、実はここは昔の線路です。
今でも、ゆるくカーブした線路の形に道が延びています。
路面電車ですが、首里への坂道を上る区間では道路とは分かれて、電車だけの線路(専用軌道)を走っていました。


観音堂で休憩します。実は、観音堂の裏側も電車の線路でした。
いまでも敷地が、カーブを描いていた線路の形になっています。




観音堂の後は、唯一残る電車の遺構、鉄橋の橋脚の土台を見に行きます。
都ホテルの敷地の裏に残されています。



ここで、都ホテルの方よりお話がありました。

都ホテルの親会社は、大阪を走る鉄道会社(近鉄=近畿日本鉄道)なのだそうです。
ある時、親会社から出向で赴任した社長がこの橋脚の土台を見て「何があっても絶対に壊すな」と指示をされ、その指示が現在まで引き継がれて、残されているそうです。

偶然にも戦争で破壊されず、偶然にも鉄道にゆかりのある会社がホテルを建てたので、残った遺構です。
でもそれは、偶然だけでなくて、残そうとした方々の努力があって、現在まで残っているのですね。
素晴らしい!

一見すると何でもないコンクリートの固まりですが、よく見ると弾痕があります。
この土台が、かいくぐってきた歴史が見えるようです。


この後は、現在の県道29号を歩きます。この県道29号が線路の跡です。
女学校前の電停(現在の安里十字路付近)まで歩き、2回目は終了しました。
暑い中、お疲れさまでした。

(一柳)