10月14日(土)に令和5年度 若狭公民館利用団体連絡協議会(利団協)親睦レク開催されました。
去年は波上宮と対馬丸記念館を見学しました(去年の様子はこちら)が今年は「若狭町の歴史をまちまーい」しました。
若狭町は歴史的にたくさんの名所があり、昨年度に若狭小学校区まちづくり協議会で勉強会を開き、その案内板を設置しました。(その時の事業はこちらから)
その案内板を利団協のメンバーで散歩しながら、日頃活動している若狭地域の歴史を知ろうと企画されました。
ガイドに若狭小学校区まちづくり協議会から岸本さん、伊地さんが参加してくれ、資料を読み合わせしながら、まちまーいをスタートしました。
若狭小学校区まちづくり協議会が作成した案内版マップをまとめた資料はこちら
まず最初に訪れたのは若狭小学校裏門近くの若狭海浜公園のところにある、「雪の崎跡(ユーチヌサチアト)」。
昔若狭小学校周辺は小高い丘があり、戦後に区画整理のためにダイナマイトで破壊したとのこと。
若狭公民館に展示されている絵は昔の雪の崎跡が描かれている絵があります。
ユーチヌサチの由来は波の侵食により削られた形が斧の形に似ていることから斧の方言が(ユーチ、ウーン)からユーチヌサチと呼ばれるようになったそうです。
漢字では雪の崎と書かれているのは岩礁にぶつかった波飛沫がまるで雪のようだったという一説もあるそうです。
続いて一同が到着したのが、護道院跡のパネル箇所へ。マップだと⑥です!
こちらは有名な耳切坊主が生まれたお話の舞台となったお寺となっています。
様々な説をお聞きしましたが、耳切り坊主の歌を聞きながら、この掲示版を探してみてはいかがでしょうか?
続いて一同が移動したのは若狭のマックスバリュの裏にある拝所へ。マップの④
こちらは2つの掲示板を設置しています。
「なぐやけの碑」へ一同は移動しました。
「10・10空襲」で旧那覇市域は約9割焼失し、多くの死傷者を出しました。
その那覇市民の戦没者の慰霊と恒久平和の願いを込めて建立されたモニュメントは今
波の上ビーチの公園広場にあります。
そのままビーチ沿いを歩いて、波の上の拝所へやってきました。マップだと①です。
波上宮の真下にある拝所を掲示板で表していますが、その上にある波上宮には去年参拝と見学を行いました。(その時の様子はこちらから)
波上宮を横切り、一同は護国寺へ。
護国寺に設置されている琉球王国時代に医師として活躍した仲地紀仁の顕彰碑に設置されている掲示板へやってきました。マップだと②です。
ベッテルハイムは布教活動のために来琉し、約8年間護国寺にいたそうですが、医者であったため仲地 紀仁に種痘(しゅとう)を伝授したことで、医療の普及にも努めたそうです。
一同最後の案内として鏡寺(カガンヌウティラ)・「海蔵院」へ。
個人の家の一室がお寺となっているので、場所は控えますが、辻開祖の三人の王女の名前と侍女の名前が刻まれた位牌が祀られています。
さて、これだけまわってもまだまだ歴史的に貴重な場所や文化がまだまだある若狭町。
時間の都合上、今回はここで終わりましたが、これからも機会を作ってまだまわっていない箇所をまちまーいしたいと思います。
そのまま若狭公民館のホールに移動した利団協の皆様。
ここからは親睦会として、お弁当を食べながら、ステップダンスやワルツを踊り親睦を深めました。
動画でも紹介しています(こちらから)
(崎枝)